2008年09月09日
闇の子供たち
世界船の準備のために、月・火と空けておいたのに、まだ、ほとんど何もしていない。 というのも、前から気になっていた本を買って、読み始めたら止まらず、 今、大学に来る電車の中でも読み、講堂前広場で友達を待っている間にちょうど読み終わった。 その衝撃がまだ残っている。 梁 石日 著 「闇の子供たち」タイを始めとする東南アジアの国々の児童買春・臓器売買などをテーマにした本で、 事実をもとにした、かなりシリアスな内容だ。 自分が5年間、何の不自由もなく暮らしたあの国の闇の部分では、こんなことが行われていたのだろうか? と考えると、言葉が出てこない。 でもそれ以上に深く考えたのは、自分の無関心さ、である。 話の最後に、日本の新聞社のタイ支局に勤める男がこんなセリフを言う。 「この国の子どもたちのことは、この国の人間が解決するしかない。 君は所詮、この国では外国人なんだ。」 この言葉、そしてこう言った駐在員の気持ち。 これは、まさしく、私がタイにいたときに感じた気持ちと同じだと思う。 ショセン ワタシハ ガイコクジン。 ワタシハ チガウ クニノヒト。 認めるには恥ずかしいことかもしれないけど、それが事実。 確かに、タイにいる間、ストリートチルドレンをたくさん見た。 ドライバーが運転するクーラーのきいた車の後部座席にいる私たちに、 裸足の子供たちが窓をふいたり、花をさしだしたりして、お金を稼いでいた。 始めの頃は、見るに耐えかねて、子供たちがよってきたら、寝たフリをした。 10バーツや20バーツあげても、私たちの生活には特に支障はない。 でも、お金を挙げたら、たくさんのストリートチルドレンが寄ってきて囲まれる事がわかっていたから、それが怖くてできなかった。 でも、5年間も住んでいると、だんだん慣れてきてしまって、 「あ~、またいるなぁ~」程度にしか思わなくなっていた。 冷房のきいた車の中から、目を開けて、暑い中、裸足で車道を歩き回る子供たちを見ていた。 日本の道を歩いていると、ノラ犬やホームレスがいる。 タイの道を歩いていると、ノラ犬や、ホームレスや、ストリートチルドレンがいる。 それは日常の生活の中に溶け込んでいて、普段ある景色の中に、裸足の子供たちがいた。 もちろんホームレスの大人達もたくさんいた。 かわいそうだとか、大変そうだとか、どうにかならないのかな?って思ったりはしたけど、 自分で、どうにかしなければ!とまでは思わなかった。 日本の駅地下にいるホームレスを見て見ないフリをするのと同じように、 タイの路上で生活するホームレス親子を見てミナイフリをしていた。 私の家にはメイドさんがいた。 15歳で、田舎から出てきてメイドとして働き、毎月、親に仕送りしていた。 13歳でタイに行った私は、日本の3倍くらいある広い部屋で悠々と暮らしたけど、 自分と同じくらいの年から働き始めたメイドさんと居合わせるのが心地悪く、彼女のいる時間に家にいたくなかった。 ボランティアで1週間、孤児院に行ったこともあった。 コーラを飲んで歯がボロボロになった子供たちと遊んでいた。 1週間通ったら、すごくかわいくて、みんな弟・妹みたいに思えたけど、 あれから5年以上経った今は、遠い世界のことのようだ。 私は、今、キレイに整備された東京の街で暮らしている。 ボランティア友達から誘われたハッピーホームというエイズ孤児のいる孤児院には、 親の反対にあって行かれなかった。 高校生だった私は、そうやって差別する両親に反発はしたけれど、 でも、結局、両親の心配を翻すだけの勇気も正義感も使命感もなくて行かなかった。 今、大学を卒業する年になって、自分の子供がエイズ感染者の孤児院に行くと言って、 簡単に「行っておいで」と言えなかった両親の気持ちは分かる気がする。 万が一の事を心配する親の心情。当たり前だ。 「闇の子供たち」は、人間の心の深い部分に立ち入った話だと思う。 児童買春の話は、一部のマニアと一部の児童売買をするヒトだけの話じゃない。 貧困・格差・戦争・政府・マフィア・軍隊・警察、、 いろんな問題といろんな人を巻き込んだ解決の見通しが立たないんじゃないかと思う問題だ。 貧しい村に生まれた子供たちや、難民キャンプにいる子供たちは、親に売られてしまう。 その子供たちを商品にする大人と、その商品を買う大人たちがいる。 大金をはたいてでも臓器移植をして我が子の命を助けたい親と、 何も知らされないまま生きながらに臓器をとらえる子供たちがいる。 タイに住んでいたとき、若い子は殺されて臓器をとられるから、とトイレに行けない場所があった。 夜中に、爆竹と一緒に拳銃の音がした日もあった。 同情心をかうために切られたのよ、と聞かされた青年には、片腕と片足がなかった。 日本の大学教授が、タイの田舎で娘を買ってくれと頼まれた話を聞いた そう。 この「闇の子供たち」に記されてるストーリーは、きっと自分のすぐ身近の話でもあったんだ。 でも、駐在員の娘として、バンコクの外国人町で、警備員の常駐するマンションに住み、 郊外にある有名私立校に通い、デパートで買い物をし、キレイなレストランで食事をしていた私には、 そんな話は、何かの本や映画にだけ出てくる遠い世界のようで、 自分の横を歩いている子供が、そういう運命を辿っているかもしれないことは、 うすうす気がついていたのに、「こっち」と「向こう」は違うんだ、と見ないフリをしていた。 そんな私も、タイを離れて4年が経つ。 離れれば離れるほど、外国に対して無関心になる。 クーデターが起こり、デモが起こり、非常事態宣言まで出た。 親が住んでいた頃は、本気で心配した。 友達と頻繁に連絡をとっていたころも心配した。 泣きそうになりながら、ただただ、自分の知っている人たちの安否を確認したかった。 でも、時が経つにつれ、少しずつ「向こう」の話になってくる。 海の向こうで起こった話に関心が薄れてくる。。。 ニュースで流れた瞬間、すごく驚いていろいろ考えるのに、 次の日には、他のニュースに関心が移っている。 結局、自分は、ただの偽善者なのか、自分勝手なのか、ナルシストなのか、、 それでも、今、何もしない自分に意味がわからなくなっても、 無関心になることだけはやめようと思う。 そして、せめて、自分のすぐ近くにいる人たちと笑顔をつくっていきたいと思う。 最後にマザーテレサの言葉を少し。 - 愛の反対は憎しみではなく、無関心。 - 日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります - 帰って家族を大切にしてあげて下さい(ノーベル平和賞受賞の際、インタビューで「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」と問われて)。
- posted by eiko-n |
- 14:09 |
- アジア |
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タイを始めとする東南アジアの国々の児童買春・臓器売買などをテーマにした本で、
事実をもとにした、かなりシリアスな内容だ。
自分が5年間、何の不自由もなく暮らしたあの国の闇の部分では、こんなことが行われていたのだろうか?
と考えると、言葉が出てこない。
でもそれ以上に深く考えたのは、自分の無関心さ、である。
話の最後に、日本の新聞社のタイ支局に勤める男がこんなセリフを言う。

