「しょうがない」という言葉

先ほど録画しておいた番組を観ていたら
フェアトレードカンパニーという会社の社長(イギリス人女性)が

「発展途上国の生産者に適正な賃金を支払い、しかも持続的に仕事の場を提供することで、貧しい人々の自立をサポートする貿易」

についての話をしていた。
その内容も興味深いのだが、冒頭の言葉が印象的だった。

「日本に来てまず一番理解が出来なかったのが
 <しょうがない>という言葉です。
 イギリスにはそういう言葉が無いので嫌で嫌で仕方が無かった。
 1回言う毎に100円(ペナルティとして)出してください。」

と最後は冗談めかしく言っていたのだが
なるほどこれが都市型の考え方なのだと感じた。

当然、この場合でいう<しょうがない>の使い方としては

「しょうがない・仕方が無いと言って見過ごすことが許せない」

という意味で使ってらっしゃるのだと思います。


(「嫌で嫌で」というのが少々原理主義的にも感じましたが
 欧米人がそう見えるのは当然ちゃあ当然ですし
 そう見えるのは自分が日本人故なのだという意味で理解しつつ)

見過ごさずに行動を起こせることは素晴らしいことなのは勿論なのですが
そのこと自体よりも

<イギリスにはしょうがないという言葉は無い>

というところに妙に納得してしまいました。

いつか読んだ本に書いてあったのですが、
西洋的な価値観で環境について考えると、
どうしても「人間がご主人様」というのが抜けきれない。
それは庭園の造り方等ひとつ取ってもそうで
垂直線と水平と人工的な曲線で構成される、
つまり人間の手が如何に介入しているかで
美しさや繁栄を競っていたような文化もある。

それに対して、日本というのは「人間がご主人様」という考えが元来薄い。
自然の脅威をどこの国よりも身近に感じる国だからですね。
地球の表面積の0.07%しかない国土にも関わらず
地球上で起こる地震や噴火の10%が日本で起きている。
むしろ「自然がご主人様」であり、どうやったらこの気まぐれな自然様と
うまく付き合えるかと頭を巡らせてきたけれど、
災害の歴史そのものが日本の歴史であるほどに
自然災害にしばしば生活を奪われてきた。

そこで「しょうがない」という言葉が出てくる。
自然(計り知れない物)のやることなんだからしょうがない。誰も悪くない。
でも自然てやっぱ怖えぇから気をつけんべ。んべ。
と考えるしかないんですよね。

もし、人の手よって整備された人工的な物に囲まれた所で
生活を奪われるようなことがあったらそれは何かしら人為的なことであり
「必ず誰かに責任があるハズ」な事。

そうなると「仕方が無い」「しょうがない」という言葉は使えないんですよね。
でも日本でも室町以降は都市化が進み
「仕方が無い」という言葉を使うのは遅れた人間だという教育が始まったとか何とか。

やはり都があったからだと思いますが、
関西圏の人は他の土地の人間に比べて都市型の考え方を持つ傾向が強いそうです。
都会的なんですね。
昔も今も自然より人が多い環境だと自ずとそういう考え方になるという。

現代に生きる私はもう定着し過ぎて例を挙げようにも
すぐに思いつかないくらい、
それぐらい無駄に都市型脳が浸透してしまってます。

でもこうやって考えると「しょうがない」「仕方が無い」という
「所詮人の責任に追えないこと、理由なんて分からないことはたくさんあるよ」
という考え方で自然をかわしつつ・・というのも悪くないなと思いました。

まぁ災害に遭ったらそんな流暢なこと言えずに
「誰のせいだ!」「責任者出て来い!」と考えてしまうと思いますが。。。

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コメント

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Re:「しょうがない」という言葉
いろいろあるよね。。。
生まれも育ちも田舎だからな。。。
まぁ、しょうがない。
Re:「しょうがない」という言葉
「しょうがない」という言葉でしか表せないからしょうがない。

私は「洗練されてないくせに自然は無い」
というまさに恵まれない土地で育ったので
「田舎=豊か」というイメージがあり
憧れがあります。
憧れてもしょうがないけど。
あ、また言っちゃった。
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