生きていくこと

おひさしぶりです。先日、テストを受けまして、自分のあまりの不甲斐なさに凹んでおりました。あぁ、浪人生。
ボクは予備校まで自転車で通学してるんですよね。40~50分の間で大抵はつくんですよね。バスとかでも行けるんですけど、ボクは自転車が大好きなんですよね。
自分の力で漕ぎ。風にスピードを奪われたり、背中をおしてもらったり。雨の日は乗る事をあきらめたり。自然に左右されながらも歩くよりも速く、風を全身に感じる事が出来る。
自転車のスピードって凄く気持ちがいいんですよ。帰りに好きな所による事もできますしね。
今日も本屋へ寄ってから帰ったんですけど、今はわりかし本屋にいったら環境問題についての本だとか雑誌で特集が組まれていたりして、球温暖化で起こる問題なんかを訴えてますが、本当に問題なのは地球温暖化にまで至った過程だと思うんです。
二酸化炭素の排出量を減らす。ごみを減らす。森を大切にする。
地球の環境を守るため。いや、僕たちがこれからもこの地球で生きていくために必要なことです。
でも、もしも二酸化炭素を大量に他の無害な物質に変える技術が出来たら?ボク達はどうするんだろう。
これまでと同じように生きていくのかな。無神経に、図太く、そのくせナイーブに。
大事なのは問題の裏にある大切な何かなんだと思う。温暖化を含めた環境問題について言うなら、ボク達は急ぎすぎたんじゃないかと。
ボク達は確かに便利で快適にすごせるようになったし、お金があれば飛行機で簡単にそして速く日本の裏側にだっていけるようになった。
札幌から東京なんて何時間もかからない。大量生産大量消費。目まぐるしい速さで変わっていく世の中。便利になっていく分、大切な何かが犠牲になっていく。
壊れたらポイとか使い捨てじゃなくて、大事にモノを使っていく時に生まれる愛着心。そして、それが修理してもどうにもならないと知ったときにこみ上げてくる喪失感。
列車でのんびりと流れる風景に退屈だと不満をこぼしながらも、心で感じる安らぎ。どれも、今の世の中じゃ失いつつある気持ちだったり時間だったりします。
環境問題を考える。確かに大事です。だけど、環境問題を通して失ったもの得たものこれからのボク達を考える。こうやって考える方が今のボク達、そしてこれからのボク達に必要なことなんだと思います。
時には車をおいて、自転車で出発するのもいいんじゃないでしょうか。風を感じて、歩くよりも速くて、それでいて大切な何かを見つけれるギリギリのスピード。ボクはそんな気がします。
大事なモノを落としてしまっても、ボク達は後ろを振り返って探すことのできる生き物だから。失くしたモノを嘆くんじゃなくて、一緒に探しにいきましょう。
ひさしぶりのくせしてまとまりのない文章ですいません。

選択

いつにもましてボクの家の周りではタンポポが咲き乱れています。青い空とのコントラストがいかにも春を感じさせてくれます。
素直に季節を感じる。これが生きる事を肌で感じてる瞬間だと思います。日本みたいに四季があるなら尚更。
地球は回る。季節は巡る。世界は直線じゃなくて、円なんだと思う。だからきっと、終わることと始まることが同じ場所にある。
恵みの秋が終われば厳しい冬が来て、それを乗り越えれば再生の春がくる。明けない夜はないし、沈まない太陽もない。
これは諦めの言葉にも、意志の言葉にもなれます。結局はどんな力も言葉もそれを扱うボク達次第だから。
ボクは弱いけど、それでも周りに大切にしたい人がいる。せめてその人達の前では強くありたい。それだけはこれから先なにが起ころうとも揺ぎ無く思い続けたい。そして、強くあろうと思う。
ちょっと、いまから自分を弁護しちゃうけど・・・(汗)
それだけでいいんだと思う。人はそれぞれ違う。出来る事も、考えれることも。大事なのはそれでも自分に出来ることを精一杯やる事だから。
出来るなら、百、千、万、一億単位の人達の前で強くあって欲しい。でも、それはきっと難しいから。それよりも、一人とか二人でいいからその人達の前で強くあり続けようとした方が良い。それが繋がっていくのが世界だから。直線じゃなくて円だから。
四川やミャンマーについてボクが何かを言うのは、うそ臭いかもしれないけど・・・。
出来ることで良いから何かやりましょ。誰かを思える心のゆとりがあることは、一人じゃない事の証だから。誰もが繋がっていて、この世界で生きてるって事を少しでも知ってるって事だから。遠くに離れている親戚に「お互い状況は違うけど、がんばりましょうね」って感覚でさ。一言気持ちを込めて、なんだっていいからやる。
勿論、出来ない人はそれでいいから、周りの大切な人達にとって強くあってください。それはきっと、回りまわって誰かの弱さを守ることに繋がると思いますから。
ボクは少しだけ背伸びしてみて、募金でも署名でもやれることをやってみます。

変わること変わらないこと変えないこと

空が青いです。なんというか、縁側で茶をすすりたいなぁ。・・・なんて事を考えてはいないけど、のほほんとしてしまいます。日常がふと幸せに感じれるって事が平和なのかなー。だとしたら、やっぱり、忘れないように大切にしなきゃな。
僕は受験生なので、机に向かって勉強することが多いです。今も昔も,やれば出来る子などと根拠のない無責任な自信に振り回されて苦労しています。でも、今と昔で変わったこともあります。
昔はなんで勉強するのなんて聞かれたら、論理的な思考力を養うためだなんて、分かったような顔をしていましたが、それは半分うそで半分ホントなんだなって感じるようになってきました。
僕は教育って、人間が積み上げてきた生きた証を未来に繋げる事だと思うんですよね。
だから、勉強を嫌がる子供が多いのも、後ろ(過去)じゃなくて前(未来)に広がる世界を無邪気に信じて疑わないから、先にある世界が全てが楽しいことで埋め尽くされてるって感じれるから。それで前にささっと進みたいんだろうなぁ。それじゃあ、後ろを見る時間なんてつくろうなんて思わないか。 なんて思っています。
「ただ単に机に向かってじっとしてるのが嫌だからじゃないの?」なんて言われたら「そうですねー」なんて納得しちゃいますが。
人間って複雑だったり単純だったりよく分からないから、教育って時に理不尽でつまらなくて自己中心的だったり感じるんだと思います。
だけど、その中に背筋がゾクッするような感動がギッシリ詰まってるって感じた瞬間、世界が手招きして僕たちを誘ってるんだと感じれる。前に広がる世界をまた信じれる。
そうやって考えてみたら、論理的な思考力を養うためだってのも勿論正しい。でも、それだけじゃなくて、僕達が僕達であることを確かめるための手段だったり目的だったり、生きていくために絶対必要な事だったり、あの娘に告白するためだったり、それは間違ってる胸を張って言えるようになるためだったりするんだと思います。
勉強って将来を堅実にするためのガイドブックなんじゃなくて、むしろ冒険していくいための‘何か‘なんだと思う。
勿論、自然だって僕達(地球、地球の上で生きる全ての命)が生きてきた、そして生きている証だ。これを伝えて、守っていくってのは立派な教育だ。
僕たちは自然から学ぶことがまだまだたくさんある。きっと学ぶことが尽きるなんてないと思う。僕たちは忘れっぽいから、何かに残した事だって忘れちゃうこともあるんだから。
ずいぶんと長くなってしまいまいたが、僕は勉強が好きです。
きっとこんなことが中々大変で大切で楽しいと感じれることも幸せですね。

生きてる事は

1997年の京都議定書で約束したCO2排出量6%削減を日本は守れなかった。それどころか、逆に6%上昇させてしまった。
だけど、話はここで終わらない。
日本国民一人当たりのCO2排出量は一般に環境先進国と言われているドイツやオランダよりも少ない。ドイツは日本より人口はすくないけどさ。
日本の環境対策技術は他の国よりもずば抜けて高い。うん、抜きんでている。
京都議定書は1990年の段階で環境対策技術が出来上がってたから、削減が難しかったからという背景もある。約束は破ってるけどさ。
議定書が結ばれたとき、僕はまだ10歳かそこらでハナミズ垂らして遊んでテレビもアニメくらいしかみてなかった。だから、その時日本で議定書がどのくらい認知されてたのか知らないけど、あまり知ってる人は少なかったんじゃないかな。
テレビじゃ誰がくっついたとか離れたとか、金をもらったとか貰ってないとか、今の若者は駄目だとかなんとか言っちゃってさ。僕たちのことを知ったような顔で話してる。僕がそんな番組しか知らないだけなのかな。だとしたら、すいません。でも、言わせて貰います。
例えば、「リサイクルなんて言葉が環境にいいなんて嘘っぱちだ!」だとか「カラスは害鳥なんかじゃない!」だとか言ってくれるテレビは中々ない。
一見、馬鹿だろなんて思うかもしれないけど・・・。
例えば、ペットボトルの日本での回収率は60%だが回収したものの20%もリサイクルしていないとか、牛乳パックのリサイクルは大量にエネルギーを消費するから、かえって環境に悪いとか、再生紙をつくるしても、インクや染料で汚れた古紙を再利用するにはエネルギーの消費が高いから、新品のパルプを使うより環境に負担をかけるだとか。
リサイクルすりゃ、環境に配慮してると間違った認識をしてる方が、環境によろしくない。
カラスにしても、カラスにゴミを荒らされないように分別を守って、カラスが食べそうなゴミを集める曜日は特に気をつけるだとか、ゴミを減らそうだとかいう意識を高めてくれるのだし(前向きに頑張ろうって人にとってはかもしれないけど)。食物連鎖の視点からみればカラスは生ゴミを食べてフンをしてそれが植物の栄養にもなる。街中でもしちゃうことが多々あるけどさ(汗
実は知らないことがまだたくさんある。賛否両論が出ることもたくさんあるだろうけど、知らなければ何も始まらない。
日本の技術は凄い。でも、僕たちの知識は浅い。これは悲しすぎる。自分の国を堂々と「凄い!」と言えないなんて状況は嫌だよな。
僕達は日本の誇れる部分をあまりにも知らなさ過ぎるんじゃないかな。しょうがないとか、どうでもいいとか。環境に限らず。
日本を知ったら、きっと嫌だとか駄目な国だとか言う人も出るだろうけど、好きになる人の数のほうが多くなると思う。僕自身は人に教えられるほどの知識はないけど、日本が好きだ。言葉の深さも、四季も、治安だっていい、食べ物もおいしい。武道だって凄い。世界に誇る素晴らしい先人達だっている。
なんつーか、話が飛びすぎたかも。でも、きっと思ったことはこんなことです。僕は日本人だということに誇りと責任をもてる人間になる。
長々とすいませんでした。

なんというか

今日は天気も良く、一昨日までは暑かった気温も北海道の春らしくなってきました。
ボクは平成しか知りません。そして、周りは畑。といっても自転車で40分走れば札幌です。知識でしか地球のことを知りません。それもほんのちょっと。
ボクが生きるために食べたり、かっこつけたくて服を頑張ってみたり、音楽を聞くためパソコンを使うため電気を消費する。
ボクがいわゆる普通の一日を送るためにどれだけの何かを殺してるんだろう。それを善いとか悪いで言うとピントがずれちゃう気がする。生きていたいんだもの。傲慢な言葉だけど、ボクは他の言葉が見つからない。
だけども、このまま何もしないで終わりが来るなんてのは生きる事に対して失礼だ。だから、最後までもがいてみる。もっと知ろうと、伝えようと、動いてみようと。
半径3メートルを変えてみる守ってみる。神様が自分に似せて僕達を作ったなんて知ったこっちゃない。僕達は服をぬいだら単なる生き物だもの。自然の一員なんだもの。誰もラッパなんて鳴らさないし、最後の審判なんておこさない。
自然は連帯責任で、誰かがおこした事はみんながかぶらなきゃいけない。人間ばかりが自然に迷惑をかけ続けて終わるだなんて嫌だ。
頑張ります。だから、もしこんな文章でも共感を覚えてくれたなら、一緒に頑張りましょう。それでは