「怒り」についていけない

 私は現在29歳なのだが、じつは私は高校2年生の時から数えて、怒ったことが1度もない。どうしても、仕事の都合上怒らなければ示しがつかない、という場合のみ、怒るような振りをしたことはあるが、本気になって誰かや何かに対して怒るようなことは、もうなくなってしまった。

 子供時代、私はどちらかと言えば短気なほうだった。その短気が災いして、中学校時代、人をいじめる側に回ったり、いじめられる側に回ったりして、ほとほと嫌になってしまったので、高校に入ったとき、もう激情を振りかざすのは止めよう、と決心した。
 そんなこともあって、高校時代は一転して目立たない生徒になった。頑張って自分の感情を押し殺しているうちに、怒る、ということがどういうことなのか、よく分からなくなってしまっていた。

 人間は基本的に「怒る」ものらしい。怒らないことで、損をしたことも何度もある。
 例えば、大学生時代付き合っていた彼女がいて、彼女が他の男とライブに行ったり、向こうが原因で仲がぎくしゃくしたり、向こうのわがままで夜中の2時や3時くらいまで拘束されても、基本的に怒らないで理解しよう、と努めていたら、「たまには怒ってよ!」と、怒られてしまった。
 例えば、同じ職場の先輩が、不条理なお客に当たって、そのお客の文句や愚痴をずっと言い続けていて、他人が怒っているのに対してどう対処すればいいのか分からなかったので、穏やかにその話を聞いていたら、「そういう時は一緒になって怒らないと、社会じゃやっていけねーよ!」と怒られてしまった。

 怒りや憎しみや不満は、時に現状を打破する原動力ともなるらしい。だが、そういうことにずっとなじめなくて、そんな自分は間違っているのだろうか、とも思ったりしたが、ダライ・ラマ法王が「怒りは物事を解決する根本的な策とはなりえません」ということを言っていて、やっぱりそうだよね、と救われた気分になった。

 とにかく、怒りや憎しみにどう対処すればいいのか分からないのである。
 
 エコロジーでも、企業や、社会を変えよう、という野心に溢れた人や集団がある。
 基本的に「変えよう」と言うことは、「現状は間違っている」と感じている、ということであり、「なんでああなんだ」「どうしてこうなんだ」という現状への不満や怒りが、「変革」の原動力となっている。
 私はどうもこんな人間なので、基本的に野心を持った人間についていけないのだ。

 
 なんでこんなに怒りに溢れているのだろう、そう思うことが時々ある。
 「世の中そんなに甘くない」とよく言われるが、個人が世の中に合わせて辛くなるのではなく、世の中が個人に合わせて、世の中全体が甘々になればいいのにな、そんなことを、私は夢見ている。

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アメしかない。
私も、なんとなく、同じような事を考えた事があります。
私の場合、不条理なことや、理不尽なことが身に起こっても、怒りの感情よりも悲しみや嘆きが先にくるか、+に考えて笑いにするかのどちらかです。
学生時代の友達からは、「ほんと、アメとムチのアメだよね。」といわれ、
今の会社の後輩からも「先輩は、アメしかない」といわれました。
私も世の中全部が甘くなればいいんじゃないって思ったことありますし、基本自分にも甘いんです。

よっひーサンは、人に対してやさしい人だなと思いました。同時に自分に厳しい人なんじゃないかなって印象も。

でも、ブログ読ませていただいて、また違う感じもうけています。うまく言い表せはしませんが、なんだか尊敬しはじめています。
Re:「怒り」についていけない
>>重さん

 なんか僕の実年齢知ってから、急にしおらしくなったような気がするのは気のせい(笑)?
 僕もじつは「飴とムチ」って考え方がずっと好きになれませんでした。結局あれって、「ムチで叩くための口実として飴を用意してる」ってだけだもんね。
 「あなたのことを信用しているから怒るのよ!」って考え方も嫌いで、本当に信頼しているなら、まず怒る以外に「諭す」とか「説明する」とかすればいいのに、「怒る」以外のコミュニケーション法の選択肢が浮かばない、ってことは結局信頼してないんじゃないか、って思っちゃうんです。ものすごいひねくれてるよね(笑)。

優しい人たちがつながればいいな、と思うんです。それこそ「伝々」的に(笑)。
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