「目覚めよ」と政治学者は言った

 C.ダグラス・ラミス著『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』を読んでいる。「読んでいる」というのは、まだ全部を読みきっていないのだ。
 ダグラス・ラミス氏と言えば、今年のGeshiFesで辻信一氏の隣に同席していた人物で、geshiFesでは、「火鉢の火を見ていると安心する」という話を、ぼそぼそとか細いながらも流暢な日本語で語っていたのが印象的だったが、改めてプロフィールを見ると、本職は政治学者で、沖縄を拠点に日本の平和憲法やその他日本論を研究している人らしい。

 実際に著作を読んでみると、ラミス氏と、私のブログの記事には共通点があることが分かる。例えば、平和の問題と環境問題は密接に結びついている、ということや、それらの諸問題を解決するためには、まず人々の意識や、常識を変えなければならない、要するに「つきつめればココロの問題」と考えている点、などだ。
 一介のブログ書きの理論が、専門の政治学者と同じ地平にいた、ということを自慢したいわけではないが(いや、本当はちょっとしたい)、やはり、平和や環境問題を考えた場合、人間の心の在り方が重要な指針となるのは、専門家の目から見ても間違いのない真実なのだろう。

 まだ最後まで読み終えていないので、正確ではないだろうが、ラミス氏の言いたいことを一言にまとめるならば、「自立しろ」この一言に尽きると思う。
 
 例えば、今世界を脅かしている貧困の問題は、アメリカが、国策として「未開発国の発展を援助する」と宣言したところにその発端はある、とラミス氏は指摘する。
 その時の「発展」という言葉には、「アメリカその他先進国のような経済体系を確立し、経済的に豊かになる」という意味を持っていた。それはつまり、「途上国(この言い方も本来なら間違っている)に、アメリカの価値観を強制する」ということに他ならず、簡単に言うと、途上国の人々に、アメリカのリゾートや高級車の写真を見せ、「ほらほら、世界はこんなにリッチなんだよ~、でもこれドルがないと手に入らないんだよ~、ドル欲しいよね~、ドルがないとまずいよね~、」と広めて回るようなことを、アメリカはやってしまったのである。
 一度そういう情報が手に入ってしまうと、途上国の人々であっても、もう自らの置かれている環境に満足できなくなる。そこに付け込んで、安い賃金で途上国の人々を「搾取」することに成功した、というのが、アメリカにおける「未開発国の発展を援助する」ことの実態だ。
  ただこうしたことは、何も「先進国対途上国」のみならず、この日本という国の中にも存在する。
 例えば自動車や携帯電話などが良い例で、初めは「あればいいな」という程度だったものが、いつの間にか「誰もが持っているもの」になり、「持っていないとまずいもの」に転化される。
 そうなると、本来は「あればいいな」程度の価値だったものを、誰も彼もがあたかも「必須なもの」として追い求め、そこに付け込んで、競争を煽る者、「持たざる者」を搾取する者が現れる。

 こうした事態が、現在の経済発展や競争社会、大量生産大量消費社会を突き動かす原動力となっており、ラミス氏は、そういった「持たざる恐怖」から、人々の意識を解放する必要性を説いている。
 要するに「周りは自動車持ってるけど自分はいらない」とか「みんな新しいもの新しいものって目を向けるけど、古いものにだって良いところはあるよ」「周りは金を持ってるか持っていないかが幸せの基準になる、って言ってるけど金なんてなくても幸せだよ」ということを、すべての人々が堂々と宣告できること、それがこれからの社会には必要なのだ、という。
 それは要するに、メディアや、政府や、大国の持つ情報に流されるな、ということで、要するに「自立しろ」ということなのだろうと、私は解釈する。

 繰り返すが、まだ全部読んでいないので、新しい情報や、新たな解釈が、今後見つかると思う。まずは、バイブルがごとく、そのすべてに目を通すことから始めたい。

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