2008年01月21日
マイ箸はやっぱり意味がない?
だまされていたのかもしれない、と思った。 マイ箸の話である。 マイ箸を持つこと自体に意味はない、ということを以前にも書いたと思う。なぜなら、木を切らないようにするためには、割り箸の消費量ではなく、生産量を減らさなくてはならないからだ。 割り箸にも「消費期限」がある。例えば、マイ箸が普及したおかげで、ある店の割り箸消費量が減ったとする。だが、たとえ割り箸消費量が減って、店の裏にあぶれた割り箸の在庫が1000個から1500個になったとしても、ある時期が来たら「消費期限切れ」ということで、1500個丸ごと廃棄されてしまう。 そして店は、マイ箸普及前とまったく変わらぬ量の割り箸を、業者に受注することになるだろう。 だが私が「だまされた」と思ったのはそこではない。 そんなこんな言いながら、私もマイ箸を常備していた。個人の力は小さくとも、それをみんなでやるようになれば、いつかは大きな力になる、と信じていたからだ。 だが、そういうロマンチックな考えは、問題の根本的な解決から目を閉ざしてしまうことに気づいたのだ。 大勢の“他人”が集まって初めて力になる、というところに安住してしまうと、「じゃあ自分のやることは微量でかまわない」という、他力本願の思想に繋がってしまうし、「小さいながらもちゃんと行動したのだから、もうできることはない」そういう風に思ってしまうと、「本当にその小さな力が集まれば大きな力になるのか」「その力には意味があるのか」というような、 「本当は何が問題で、何を解決させなければならなくて、自分のやっていることは、本当にその解決に繋がるのか」 という事後考証の必要性から目を背けることになってしまう。 私が「だまされた」と思ったのは、初めから企業は、マイ箸運動に人々を安住させておけば、割り箸を受注している企業や、割り箸を生産している企業に責任追及が及ぶことはないと、分かっていたのではないか、と思ったからだ。 割り箸の生産量を減らし、森を守りたい、と思うのであれば、本当は「外食そのものを減らさなければなならない」のだ。 どんなに消費量を減らしても、店の割り箸受注量は減ることはない。 とするならば、その店そのものを減らしていかなければば、解決にはならないのだ。
- posted by よっひ~ |
- 22:08 |
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