道徳の時間

 さて、心はどこへ行ってしまったのだろう。

 というわけで、まず道徳教育についていろいろと調べてみた。日本人の道徳観が失われたことが、日本人の心が失われてしまった原因なのではないか、と考えたのだ。

 ・・・
 
 何か違う。
 確かに道徳教育は、人としてあるべき心の在り方を説いているように感じるし、礼儀や感謝、節制や畏敬の念など、今の世に失われつつあって、学ぶべきことは多い、ように感じる。

 何か違う、と感じたのは、道徳教育も「教育」である以上“模範解答”があって、その模範解答が何であるのか、誰もが分かっているのではないか、と思ったからだ。

 例えば、「A君はお母さんからりんごをもらいました。しばらくしてA君の弟が帰ってきて、その時にはりんごはもう1個もありませんでした。A君は弟にどうしてあげたらいいですか?」
 という設問があったとする。
 おそらく誰もが異口同音に「弟にりんごを分けてあげるべきだ」と答えるだろう。それは正しい。そして、それはみんな分かっている。
 
 例えば、電車の中でお年寄りを見かけたら席を譲ってあげる、街中にゴミが落ちていたら拾う、迷子になっている子供がいたら声を掛けてあげる・・・、道徳において先生が望む解答はみんな分かっていて、そうすることが正しい、ということもみんな分かっている。

 だが、やらないのだ。

 道徳教育における問題点、というか限界は、
「そんなことは言われなくたって分かっている。でも現実にはやらない」
 というその1点に尽きる。

 だから、道徳とは何なのか、どうすれば道徳心が身につくのか、どうすれば効果的に道徳心を育めるのか、という議論にはあまり意味がない。
 みんな道徳心は何なのか分かっているし、知識としての道徳心は、どんな人にも身に付いている。
 だが、それを実践に移す人がいなくて、道徳教育で議論すべきは、
「どうすれば身につけた道徳心を実践に移すようになるのか」
 これに尽きると思うのだ。


 さて、知識として心の正しさは身についている、と仮定すると、では心はどこで捨てられてしまうのだろうか。
 
 さらに旅は続く。

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