2008年02月28日
もう少し、9条の話
9条改変に関して、改変推進派と反対派で、諸々認識のズレはあると思うのだが、まず確認しておかなければならないのは、9条が改変されて、日本が戦争のできる国になったとしても、 「一般市民が戦地に赴くようなことはない」ということと、 「日本が戦場になるようなことはない」ということだ。 先の世界大戦で、国民総動員法が施行されて、一般国民が武器を持たなければならなかったのは、先の大戦は「侵略戦争」だったからだ。 侵略戦争である以上、1つの場所を侵略したら次の戦地へ、と次々と戦地を拡大させなければならない。戦地が拡大される、ということはそれだけの人員と資源が要求されるわけで、軍隊の人員だけではどうしても賄いきれなくなったので、仕方なしに、国民が武器を持たなければならなかったのだ。 そして、侵略戦争であったからこそ、相手国から反撃を受けるのは必至で、それゆえに日本は戦場にならざるを得なかった。 現在の世界情勢から考えて、9条が改変されたにせよ、日本が1国の独断で侵略戦争を始めるとは思えない。 おそらく、日本が戦地に赴くにしろ、それは紛争介入という形を取るはずで、しかも日本の独立軍ではなく、アメリカ軍との共同戦線や、多国籍軍の一員、という立場になるはずだから、戦地に実際に赴くのは自衛隊の隊員だけで十分だ。 そして、もし日本が戦争行為に加入するとしても、日本軍が自律的に戦場介入するのではなく、アメリカ軍や多国籍軍の“要請を受けて”という形になるだろうから、万一戦争行為によって社会的非難を浴びたとしても、“要請を受けたので”という言い訳を立てれば、非難の矛先は要請先(アメリカや他国)に向けられて、日本の国土が戦場になる危険性はいくらでも回避できる。 そしてさらに、前に記事で指摘したように、日本を爆撃して得られるメリットは、あまりにも少ない。 つまり、9条が改変されたとしても、一般市民に被害が及ぶことは絶対になく、一般市民の目からすれば、言うなれば「戦略ゲーム」のような感覚で、戦争を俯瞰することができるのだ。 9条改変に反対する人の中には、日本が「戦争のできる国になってしまったら、一般市民が人を殺したり殺されたり、あるいは日本が戦場になってしまう」という前提・認識を持っている人が少なからずいるようだが、その認識は根本的な部分で間違っている。 まとめるとこういうことだ。 「貴方様には一切リスクはありません。貴方様に代わって自衛隊が戦地に赴き、貴方様は“選挙権”というレバーを握り、「シムシティー」感覚でリアルな戦争をコントロールできます。 日本が戦場になるんじゃないか、って?いえいえ、日本はアメリカの保護下にありますので、全部アメリカのせいにしてしまえば、敵はみんなアメリカに行ってしまいます。 しかも今なら「国民の誇り」と「経済発展」というメリットまで付いてきます! どうです、リスクは一切なし!メリットいっぱい!9条改変して、日本を戦争のできる国にしてみませんか?」 という誘い文句に、「え、ノーリスクでいいなら、戦争賛成してみようかなぁ」と思うか、「いや、自分にリスクになくても、誰かが殺しあったり破壊しあったりする戦争には反対です!」と思うか、という問題で、要するに9条の改変では、 「甘い言葉と“自分には被害は及ばない”という誘い文句に、それでも見えない人の悲しみを思い「NO!!」を言えるほどの、確固たる正義感を持っている人が、この国にどれほどいるのか」 ということが問われているのだ。 つまり、9条の守るためにやらなければならないことは、集会でもデモ行進でもなく、「自分さえ良ければそれでいいんですか」という問いに、「いいえ」と堂々と答えられる「正義感の醸成」なのだ。 そういう意味では、9条の問題だって、突き詰めれば個人の意識の問題に帰結する。 とにかく、個人のココロから、すべては出発するのだ。
- posted by よっひ~ |
- 09:49 |
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