ピースアートの影響力

 「平和」を主題にした芸術作品はこの世界にいくつもあって、例えばぱっと思いつく代表的なものとして、ピカソの「ゲルニカ」などが挙げられる。
 ゲルニカは作品として非常に高尚で、戦争や死の悲しみや絶望などが、そのイメージを通じて見るものを圧倒する。
 で、作品としてとても印象的で、戦争の悲しみや平和の大切さが作品を通じて痛いほど伝わった、として、実際にそんな芸術作品に触発されて平和活動をするようになった、とか、戦争について勉強して、紛争の地に取材に行くようになった、という人は実際問題どのくらいいるのだろう。
 要するに、ピースアートに、人の“ライフスタイル”を変える影響力があるのかどうか、という問題である。

 今日の新聞に、宮島達男さんというアーティストのピースアートの記事があった。宮島さんは、ずっと「平和」をテーマに作品を作り続けている人のようで、記事では「何々こういう作品は、こういう仕掛けがあって、じつはこの仕掛けにはこういう意図があって、だからこの作品は平和を表現しているんです」というような解説がずっと続いていたのだが、そこで思ったのが、
「ああ、ピースアート、って“解説”と1セットで初めて意味を成すんだな」
という身もふたもない印象だった。
 
 ピースアートはそれ単体だとあまりにも抽象的過ぎて、なんだか分からない。そこに作者の解説が入って初めて、ああこういうものなんだ、と理解する。
 ということは、ピースアートにおいて作品自体は特に影響力などなくて、アートによってライフスタイルが変わるということがあるのだとすれば、それは“作者の解説”によってであって、となれば、結局大切なのは、ピースアートの作品としてのインパクトや印象性ではなくて、“作者の解説”にどれだけ説得力があるか、要するに「作者の人間性」一つということにならないだろうか。

 
 いや、別にピースアートの存在意義を疑いたいのではなくて、こういう考え方、というか事実は環境運動を行う際にもそのまま当てはまるのでないか、と思ったのだ。
 どうしても環境運動、ということになると「どれだけ大きなことを成し遂げたか」とか「どれだけ大きな組織にできたか」とか「どれだけ盛り上がったか」という、運動(作品)のインパクトの大きさに焦点が当たりがちだ。
 だが、結局その運動がどんなに大きなものになろうとも、その“身内”の中では話題になることはあっても、誰か“赤の他人”のライフスタイルを変えるような影響力を持つことは少ない。

 結局、環境運動において、それまで環境問題に興味のなかった人を振り向かせるために必要なのは、運動の規模や盛り上がりなどではなく、「その運動に携わる人が“人徳者”かどうか」という、身もふたもない事実なのではないだろうか。 

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