2008年03月15日
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人類の歴史は争いの歴史であった、と言われています。 そして争いこそが、人類の進歩と発展の原動力であった、とも言われています。 人々の争いの火種は、科学技術の発展と共に拡大の一歩を辿り、ついに20世紀は“戦争の世紀”と呼ばれ、争いの火は、全世界を覆うこととなりました。 人間同士の争いは、この星の破壊を招き、罪のない人々や、たくさんの動物たち、そしてこの星の自然が犠牲となりました。 そして今、その犠牲の果てに、この星そのものが滅び、人類の歴史も絶えようかとしています。 なぜ争いは絶えなかったのでしょう。 それは、人間には「欲望」があったからです。 「欲望」とは、生きるのに最低限必要だ、という以上に、何かを欲しがったり、何かをしたい、と思うことです。 この星のすべての生命には、「生きたい」と願う根源的な本能があります。しかし、どの動物も、どの植物も、自分が生きられる最低限のもの以上に、何かを欲したり何かを蓄えたりすることはありません。 生きるのに必要のないものまで欲しいと思う、もっとたくさん欲しいと思う、他人のものですら欲しいと思う。そんな「欲望」を持っているのは、この星においては、人間だけなのです。 ではなぜ、人間はその進化の歴史の中で、「欲望」を持つに至ったのでしょう。 それは、人間は「静けさ」と切り離されてしまったからではないか、と私は考えています。 かつて人間も、森と共にあり、森の一部として生きていました。ゴリラやオランウータンの生態が、それを物語っています。 森の中は本当に静かです。木々のざわめき、小鳥のさえずり、風の音・・・。それらの音すらも、すべてが静寂の中にあり、森の中に入るたび、人間もかつては静寂の一部であったのだと、祖先から受け継がれたDNAが訴えかけているようにすら感じます。 それがいつしか、人間は、その森を、その静けさを捨て、喧騒や、騒がしさや、物に溢れたごたごたとした環境を好み、愛するようになりました。 無より有を、静よりも動を、寂よりも騒を愛す。それはより激しく、より騒がしく、より溢れた状態が良い、という認識に繋がります。 0より1が良い、と思えば、1より2、2よりも3が良い、と考えるのは、自然な流れです。 そしてそれがやがて、生きていくのに必要な上限を超えて、「欲望」という情念に発展したのではないでしょうか。 つまり、破壊の根源には争いがあり、争いの根源には欲望があり、そして欲望の根源には喧騒があるのです。 だからこそ、この星の環境、そして未来を憂う人ほど、どうか「静けさ」に立ち返ってほしい、と願うのです。 地球を守りたい、地球の環境を救いたい、と思うことも、ある種の「欲望」です。 だから、この星の未来を憂う人の中には、「もっと大きな運動を」「もっと大きなムーブメントを」「もっと大きな変革を」と、声高に叫び、現代社会にアンチテーゼを投げかける人も少なくありません。 でもどうか、ふと顧みてほしいのです。そんな「もっと大きく」という欲望こそが、この星の破壊を招いた根源だったのではないか、と。 この世界から失われたものがたくさんあります。だが、それを失わしめた人間の、心の奥の奥底を覗いていった時、本当に失われたものとは、あの森の中にあった静けさではないか、と思うのです。 どうか、もっと静かに。どうか、自然と共にあった、あの静けさに、帰ってください。 私からの、願いです。
事務局の「トラックバック企画」の原稿として、書いてみました。 結局具体的に、どこどこに何々をしてほしい、ということは思い浮かばなかったので、漠然と、今環境問題に携わるすべての人へ向けてのメッセージを送ってみました。 なので、どこかに届く、という類のメッセージにはならなかったかもしれませんが、この記事意を見て、「ああ、そういう考え方もあるな」くらいに思っていただけると、幸いです。
- posted by よっひ~ |
- 00:49 |
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