しょっく食にしてやんよ

 ムラオカさんのブログで指摘されていた通り、「食」が最近にわかにブームになっているようだ。
 というわけで、ブームに乗って、「食と環境」に関する論点を、ココロのエコ的に整理してみよう。

 食と環境に関する論点は、大きく3つに分類される。

 ①農薬の使用や、遺伝子組み換え種の栽培による、土壌や生物への影響の懸念

 最近話題になった「毒ギョーザ」の問題や、有機野菜が見直されているのはこの問題だ。
 農薬や遺伝子組み換え種の大量使用は、土壌を傷つけその土壌の生態系を破壊してしまうだけでなく、その地で農作を行う農家や、その食品を口にした人体への悪影響も大きな問題となっている。
 ただし、自然影響を受けず、「飢饉」という状況を世界から根絶し、途上国の人々にも等しく食を分け与えられるようになった、という意味では、農薬や遺伝子組み換え品種の恩恵は世界的に認められ、農薬や遺伝子組み換え種の“まったくない世界”を実現するのは人類の自殺行為に等しい、という点で、有機栽培と農薬栽培との折り合いを、どこで付けるか、その「着地点」が、この問題における一番の争点となると言える。


 ②食料流通ルートにおける搾取的労働や、多国籍流通によるCO2排出の問題

 これは食料そのものの問題というよりは、食料がどのような環境によって作られ、どのようなルートを辿って届けられるのか、という問題で、「フェアトレード」や「児童労働」、または大企業による農地の独占や森林伐採による農地拡大の問題なども、この問題に含まれる。
 この論点は、食の問題であると同時に「経済」の問題である色合いが強く、食料の流通ルートの情報公開や是正、「南北問題」などの経済システムそのものの見直しや、大量生産大量消費という人々のライフスタイルを変革することが、問題の解決策とされる。
 言うなれば、この論点は「“食”を通じた経済システムの問題」と捉えられ、ゆえに食の問題の中でも最も規模が大きく、議論の幅が広く深いものだ、と言える。


 ③乱食、暴食による食料の浪費、および「命をいただく」感謝の気持ちの喪失

 この『エコナコト』ブログで話題になっていることが多いのがこの問題だ。
 経済的に豊かになったおかげで、この国では、「お金さえあればとりあえず食には困らない」という恩恵に、すべての人々が授かれるようになった。
 ただ、以前にもこのブログでも指摘したが、「お金さえあれば条件問わず恩恵に授かれる」ということは、理性や自制の精神を持たなくてもよい、という権利をお金によって獲得した、ということにもなり、そのせいで、「毎日食べることができる」という、世界的に見れば“極めて貴重”な事実にありがたさを感じることがなくなり、乱食・暴食が横行し、国内自給率が38%であるにも関わらず、メタボリックシンドロームが社会的問題となったり、大量の食料廃棄が引き起こされたりといった「矛盾」が発生している。


 「食と環境」と一言に言っても、その論点は多岐にわたり、どの論点に一番興味があり、問題性を感じているかは、人それぞれのはずだ。
 ただ確かに言えるのは、「食」を通じて見えてくる社会的な問題が確実にあって、様々な人が多角的に焦点を当てることで、浮かび上がってくる事実がたくさんある。
 一辺倒な物の見方ではなく、様々な人が、各々の論点から「食」を考えることが、まずは問題解決の糸口になるのではないだろうか。

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コメント

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Re:しょっく食にしてやんよ
そうなんですよね。食料も資源も無限じゃないってわかってるはずなのに、感謝の気持ちとか物を大事にすることとかって、ついつい忘れがちになっちゃうんですよね…。
Re:しょっく食にしてやんよ
>>カオルさん

 ③の問題ですね~。ついつい忘れてしまう、というよりも、「忘れてしまってもよい、という“権利”を、私たちは食料そのものと一緒にお金で買っている」というのが、正しい解釈だと思います。
 だから、「食べるときに感謝する」より、「買うときに猛烈に悩む」ほうが、結果として物は大切にできるかもしれません。
 衝動買いなんてしちゃダメなんですよ(笑)。
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