「光の国」に幸せはあるのか

 天使が見える方によると、2012年に地球は5次元に移行し、光の世界に変わるらしい。
 知り合いの人がそう言っていて、エコナコトブログの『光の生活』さんでも似たようなことが言われているので、事の真偽はともかくとして、あるグループ内でそのような説が、まことしやかに囁かれているのは間違いないようだ。

 私はあいにく天使が見える類の人間ではないので、5次元とか光の世界と言われてもちんぷんかんぷんなのだが、要するに喜びと幸せに満ち溢れた世界に、天使や「ガイド」と呼ばれるスピリチュアルな存在が導いてくれるので、これからは悩みや迷いを捨てて、楽しく生きれば良い、ということらしい。

 ところで、「喜びと幸せに満ち溢れる」というのは、どのような状況を指すのだろう。光の世界で、人の心はどうなるのか、ということだが、例えば毎日が楽しくて、笑って可笑しく暮らせる世界は、「喜びと幸せに満ち溢れている」と言えるのだろうか。
 仏教では、悟りを開いた状態とは「あらゆる苦しみや迷いから解放された状態」のことを指すらしい。つまり、苦しみや迷いを乗り越え、心の中から苦しみや迷いを解き放った状態が、人としての至高の状態、というか神に最も近い状態である、ということらしいのだが、果たして苦しみや迷いがなくなれば、幸せだと言えるのだろうか、という疑問が私にはある。
 
 この世界はまだまだ痛みと苦しみに満ち溢れていて、チベットの騒乱に巻き込まれた人たちや、アフリカで飢餓に苦しむ人たち、故郷が海に沈み住処をなくした人たちや、いじめを受けて今にも電車に飛び込もうと途方にくれる人たちなど、苦しみの渦中にあり、救われない人たちが、世界には無数に存在する。
 人は自らが苦しみ、悲しみ、痛み、または嫉妬し、その感情を知るからこそ、他人の痛みや苦しみに感情移入し、共に苦しみを分かち合い、できることならばその苦しみを取り除いてあげたい、と思う。
 もし、自分の身体から、苦しみや迷いが消えてしまえば、そういった“救われない人たち”の気持ちを、思い量ることができなくなってしまうのではないだろうか。

 よくアニメや漫画で、感情を持たぬアンドロイドが、人の泣く姿を見て、
 「オマエハナゼカオカラミズヲナガシテイルノダ?」
 と不思議がるシーンがあったりするが、苦しみや迷いが消えてしまえば、そのような態度で、チベットの人たちや、飢えに苦しむ人たちや、自ら命を絶とうとする人たちを見ることになるかもしれない。
 それは果たして「幸せ」と言えるのだろうか。

 世界はまだまだ苦しみに満ちていて、だからこそ、自らも苦しみ、迷い、痛み、悲しみ、救われない人々と苦しみを共にすること、それだって立派な「幸せ」と呼ぶべきものなのではないだろうか。
 もし「笑って楽しく、苦しみも痛みもない」ことを「光の国」と呼ぶのならば、

 私は入国を拒否するだろう。

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Re:「光の国」に幸せはあるのか
こんばんは。

比較する対象があってこそ、人は幸せと思う気持ちを持つと思うので、結局その経験を持たない人は真に幸せが何かは解らないと思うのだけど…。

一部ではその2012年も、残れる人とそうでない人っていうのが明確になる…とも聞くので、真剣に光の世界だけを夢見て今を生きていない人ほど、脱落して行くと密かに思ってます。
…書いたら密かじゃないけど(笑)。

相互リンク、ありがとうございました…!
Re:「光の国」に幸せはあるのか
こんにちは!

2012年って、何か聞いた事あるなと思ったら、去年TVで(7時くらいに)温暖化なんてウソだ〜みたいな番組がやってて、その番組に出てた人の一人が、
「地球は今まで、暑い時期と寒い時期を繰り返しています。それが5年ごとくらいなので、コレが温暖化だと決められるのは、5年後の2012年になります」
みたいな事を言っていました。

5次元とかには関係ないけど、もしその時今までの生活に戻るのなら、光の世界のようですね…

もちろん、戻らないときのために、エコな生活を心がけているのですが。(笑)
Re:「光の国」に幸せはあるのか
アセンションのことですね。なんでも2012年12月22日に、マヤ暦がちょうど終わっているのだそうです。

幸せの定義、ですね。
多くの人は楽な方がいいと思うものです。しかし楽=幸せではなく幸せの定義が異なるから、人々全員がずっと幸せになる時代は訪れない。
悟りを開くことを幸せと形容するかどうかは疑問ですね。

「笑って楽しく、苦しみも痛みもない」国があるとしたら、それはそれで素晴らしいことだとは思います。
なぜならその国に生きる人間は全員、苦というものを知らない。知らないものは知らない。経験したことがない。私が未だ形容できない感情があり、経験したことがないことがあるように、彼らの世界はそこまでであるからです。
そして私達がその彼らであるかもしれない。もっと苦しい世界は他にあるのかもしれません。
Re:「光の国」に幸せはあるのか
>>mikoさん
「幸せ」の定義、ってなかなか難しいですよね。例えば周りの人すべてを不幸にして、自分だけが幸せでも、心が痛まない人は、それが「真からの幸せ」になってしまうでしょうし、「それが幸せ、っていうものでしょ?」とか「それって幸せとは言えないよね?」と他人が諭しても通じない、というか、あくまで個人的な感覚で「幸せ」というものが決定してしまう、という意味では、「幸せ」ってすごく脆くて危ういものですよね。

 残れる人とそうでない人・・・。残らない人はどこでへ行ってしまうのでしょう?それこそ『エヴァンゲリオン』みたいに、泡のごとくどこかへ消えてしまうのでしょうか(笑)。
Re:「光の国」に幸せはあるのか
>>胡桃さん
 2012年、っていろんな意味があるんですね。

 5年ごとに暑い時期と寒い時期がある、ってことは、10年前にも温暖化が騒がれてないといけないですよね。
 1998年・・・?ああ、なんか1999年に地球が滅びるとか、みんな騒いでました(笑)。その前の1988年だと、酸性雨で身体や建物が溶けちゃう、とか騒いでいた気がするし、そう言われると、温暖化はともかくとして、日本は10年周期で、地球が滅びるとか、人類が絶滅するとか、言ってる気がします(笑)
Re:「光の国」に幸せはあるのか
>>むるさん

 アセンション、って言うんですか。なるほど、マヤ暦と関連しているんですね。

 上の、他の人へのコメントで、ちょっと『エヴァンゲリオン』の話を出したんですけど、エヴァ、って人間の心には、どこか欠けた所があったり、壁があったりして、それが埋め合わされて完全になると、“人として”消えてなくなってしまう、っていう設定があるんですね。
 それと同じような感覚で、「すべてを知る」あるいは「何も知らない」とは、人として“無”になることだ、という考えが、アセンションの中にはあるのかもしれません。

 確かに知らないほうがいいこともこの世にはたくさんあって、「知りたくなかった」と思うことも現実にはたくさんあるんだけど、何せ知っちゃいましたからね(笑)。
「産む苦しみ」が女性にとっての至上の喜びであるように、「知る苦しみ」が、現代の人々にとっての至上の喜びである、という解釈も、あるのではないかと思います。
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