答えがあったら10年前に環境問題は解決していた

 相変わらず家にテレビはないが、新聞はある。
 今日も『未来を救う地球教室』という、エコロジー関連のスペシャル番組が放送されているようだ。番組表の内容紹介からするに、エコロジーではなく南北問題の番組のような気もするのだが、今となってはもうエコロジーも南北問題も大差ない、ということなのだろう。
 このような番組が増えるのは、基本的にいいことだと思う。

 だいたいこの手の番組は、世界の惨状を、有名人のリポートを通じてドラマチックの紹介した後、番組の最後に「私たちにもできること」と題して、マイ箸を持とうとか、電気はこまめに消そうなどと言った、エコロジーにおける基本的行動を一通り提言して終わる。
 毎回思うのだが、こういう番組で、「どうすればいいか分かりません」と言うことはできないのだろうか。
 逆に言うと、なぜ毎回「答え」をさらっと提示してしまうのか、ということだ。

 おそらく番組の中盤まで、有名人が世界の惨状をリポートしている間は、一人で、あるいは家族で、「ひどいな、かわいそうだな」と思いながら、じゃあこの問題を解決させるためにはどうすればいいのだろう、と各々に想いを巡らせて、考えているはずなのだ。家族で一緒にテレビを見ている人などは、どうすればいいんだろうね、と家族会議でも開いているかもしれない。
 それが、番組の最後で「マイ箸を持てば全部まるっと解決ですよー」と言ってしまったら、そこで思考は完全にストップする。家族会議だってストップする。
 「なんだ、そうすればいいんだ」それで終わる。

 現実問題、マイ箸の問題だって一筋縄ではいかないことは、このブログでも再三言及しているし、「どうすれば環境問題は解決するのか」なんて、特効薬もなければ処方箋だってない。
 だからこそ、番組を通じて、一人ひとりが環境について考え、そこから今までなかったような画期的なアイディアを生み出すためには、
 「これまでレポートした惨状をどうすればいいか、じつは私たちにはまったく見当も付かないんです。どうかテレビの前の皆さんも、一緒に考えてくれませんか」
 と言って、番組を締めてしまった方がいいと思うのだ。

 だいたい、散々絶望的な状況を見せ付けておいて、最後に、「こうすれば全部解決しますよ」と、あたかもこれまでの絶望を丸ごと払拭できるようなことを言ってみせて、人をそこに引き込もうなんて、自己啓発セミナーとか新興宗教の勧誘テクニックではないか(あるいは「エヴァンゲリオン最終回」とも言う)。
 特効薬もなければ処方箋もない、だからこそ、ここまで環境問題は、長引き、深刻な状況になったのだ。
 今やらなければならないことは、見せかけの希望などではなく、絶望の淵から血反吐を吐きながら、とにかくひたすら「考える」ことだ。

 「正直、どうすればいいか分かりません」
 こう堂々と白旗を揚げるのは、敗北でも降参でもなく、今最も必要とされる「勇気」だ。

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