2008年05月09日
誰が地球を救う役を買って出る??
(最近格差とか階層とかばかり言っている気がするが、環境問題を語る上で、格差の問題は外せない気がするし、そもそも日本という国が破綻しそうな状況で、世界の危機に目を向ける余裕を維持できるのだろうか、という懸念がある。) 我が区足立区は、現環境大臣鴨下一郎氏のお膝元だけあって、割と環境運動に熱心だ。来月6月には、足立区独自の環境サミットが開催され、鴨下大臣はもちろん、アルピニストの野口健さんや、『不都合な真実』翻訳でもおなじみの枝広淳子さんなど、層々たるメンバーが集まる予定になっているようだ。 毎週区民に配られる区報があって、今週の区報は「足立区が地球を救う」と題して、足立区民が先頭を切って地球に優しい街づくりを目指しましょう、という主旨の記事が並べられていた。 その記事の副題の中に、「足立区民の65万歩が地球を救う」というものがあったのだが、65万人全員が1歩を踏み出すのは、さすがに無理なのではないか、と少し考えてしまった。 「日本は・日本人は」という主語は既に破綻している、とよく言われる。 例えば、渋谷で深夜0時にマックのハンバーガーを地べたに座って食べている青年と、表参道でプラダのバッグを買った後衝動買いでディオールのワンピースも買おうかしらと画策する婦人と、本所の町工場で学習机に取り付けるねじの大きさが合わないとタバコを吸いながら愚痴っているおじさんと、新宿の高架下で今日ゴミ箱から拾ってきた少年ジャンプを並べて売りさばこうとしているホームレスと、六本木の高級料亭の個室を借り切ってふたりきりの結婚記念日をささやかに祝いあう夫婦を、人括りで「日本人」と表現するのには無理がある。 それだけ日本も階層化が進んできて、いや、厳密に言えば情報供給の進歩により、それだけ日本も階層があったことが分かってきて、もう「日本の皆さん」とか「日本人のみなさん」と叫んで、振り向いてくれる人は誰もいなくなってしまった。 そういう意味で、これからは「どの層に向かってメッセージを発信しているのか」そのターゲットも明示しなければ、メッセージは届かなくなるだろう、と言われていて、事実いわゆる婦人誌や青年誌などは、軒並み部数を減らし続けている。 環境問題もそれと同じで、「区民のみなさん」とか「国民のみなさん」という形で、あらゆる層の人々に一律で環境運動に望ませようとするのは無理があって、そういう意味で、すべての人たちに一律にリスクを分散する、という計算方法には現実性がない。 今環境問題に興味を示さない人々に、環境運動を問いかけることに意味がない、と言いたいのではない。 初めから、あらゆる層の人々が一斉に環境運動にとりかかるだろう、という見込み概算で物事を発想するのは、さすがに皮算用なのではないか、と思うのだ。 おそらく今現在のこの国の情勢からするに、何をどう言おうと、環境問題に興味を示さない層は必ず存在する。 そういう意味で、区民65万人すべてにリスクを分散できるように訴えるよりは、そのうち20万人程度はさっぱりと切り捨てて、残り45万人で、65万分のリスクを賄うにはどうすればいいのか、を考えるほうが、現実的な気がする。
- posted by よっひ~ |
- 21:30 |
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- Re:誰が地球を救う役を買って出る??
- 環境に配慮して行動した人だけが
利益を享受できるようなシステムが増えると
いいですけどね。
例えば使い捨て商品に環境税を課して、
何も考えずに使い捨て商品を買っている人は
知らない間に損をするという。
まあ原油高なんかはその擬似的な形なんでしょうけれども。
- posted by カサゴ |
- 2008-05-09 22:21
- Re:誰が地球を救う役を買って出る??
- >>カサゴさん
記事を投稿して5分くらいでコメントが返って来ていて、ちょっとびびりました(笑)。
逆に、CO2削減目標を達成できなかったら罰金、みたいなシステムを政府は画策しているみたいですね。今日の新聞に載っていました。
最近、単純な損得勘定だけでは、人々は動かないんじゃないか、と思い直しています。
なんか、「面倒か面倒じゃないか」とか「ウザいかウザくないか」というような観点が、人々の中心にあるような気がしてるんです。
もう「何かを考える」という行為自体を拒否し始めている気がするんですよね、この国の国民に関して言えば。 - posted by よっひ~ |
- 2008-05-10 09:52


