勉強は世界を救う

 神はなぜ人々をすべて異なる“個”として作り給うたのだろう。

 それは他者を自らの鏡とすべきと申されたからである、あるいは他を知ることで愛を知るためである、あるいは、純粋に繁殖の選択肢を増やすためである・・・
 様々な解釈があるが、なぜ人は一人ひとり違うのか、という問いは、アフリカインディアンなどの古代民族でさえ文献に記すほどの、人類にとって永遠の「謎」のようである。

 ただひとつたしかなのは、人は憎しみ合うために、一人ひとり異なって作られたわけではない、ということだ。

 例えば、小さな気遣いができないとか、約束が守れないとか、心ない言葉を発するとか、そういう小さな諍いから、肌の色や、民族や、出自による差別に至るまで、すべての憎しみは、他者を思いやる想像力の欠如とか、コミュニケーション不足とか、言葉足らずの誤解とか、様々な原因が指摘されるが、それらを一つにまとめると、要するに、憎しみの原因は「無知」である、その一言に尽きる。

 要するに、勉強をしない頭の悪い人は、常に誰かを敵に回し、誰かを憎み続けながら生き続けなければならない、ということだが、例えば、子供の「なんで勉強しなくちゃいけないの?」という問いに対して、「勉強ができないと、いろいろな人に恨まれて、金を騙し取られたり、理由もないのに怒られたり、親友と思っていた友達に平気で裏切られたりするのよ」と答える親はほとんどいない。

 例えば、自分と他の誰かがおぼれていて、他の人が「自分はちゃんと大学を卒業してて、これからその成果を社会に広く発表して成功を収める算段があるから助けてくれ」と言って、自分は「自分は頭が悪くて何もできないけど、愛があるから助けてくれ」と言って、助ける人の立場だったらどっちを助けると思う?
 例えば金を借りたい、と言う時に、「私は毎月の返済計画をこのように立てていて、何%を不確実なリスクを考慮したとしても、月々これだけの額の返済が可能で、何ヶ月プランでの完済を予定している」と言う人と、「そういう計算はできないけど、いつかギャンブルで大もうけしたら出世払いしたら返す」という人、自分が貸す人の立場ならどちらに金を貸す?
 例えば頭のいい人と悪い人、どちらの味方についたほうが将来得になると思う?どちらと友達のなったほうが楽しい遊びができそう?どちらと付き合ったほうが、将来安定した家庭を築けると思う??・・・

 そこまで言えば、さすがに子供でも深刻に勉強に励みそうなものだが、そのような勉強法はないのだろうか。


 別に学歴社会やエリート社会を推進したいのではない。
 ただ、戦争や諍いや怒りの憎しみの原因が「無知」にある以上、平和や調和や愛のある世界に「知能知識」は不可欠であり、子供のとっても大人にとっても、勉強を拒否することは深刻なリスクを伴う、とはっきり言ってしまったほうがいいのではないか、と思うのだ。

 とりあえず、「勉強ができなくても情熱があれば世界は動かせる」とか「知識はなくても愛があれば平和は築ける」という認識はさしあたって間違っている。
 勉強をして、知能や知識を増やせば、避けられる誤解や、避けられる諍いや、避けられる憎しみは多く、勉強によって防げる“破壊”は、私たちの想像する以上にずっと多いはずだ。

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Re:勉強は世界を救う
こんにちは。
私は勉強・知識・知能…というより、知恵とか、自分で考える「想像力」の方を鍛えないといけないと思います。

例えば一般の勉強が出来なくても企業できたり成功してる人もいて、つまり自分の好きな事の勉強は誰でも出来るのです。

ただそういう人の一部が、誰かが作ったマニュアルと計算だけで動いていて、ある意味それは素直に行動できる「長所」ではあるけれども、従業員からは殆ど尊敬されていない。

だから従業員は皆すぐ辞めてしまって続かない。
…という経営者を何度か見てきました。

彼らに足りないのは、お客さんが本当に求めるモノや、従業員の立場からモノを見る・現場を意識すると言った「想像力」の欠如なんですよね。
口ではマニュアルに書かれた「思いやり」の言葉を言うけど、実際心が伴ってないんです。

だから、ある日突然足元が崩れる時にならないと、解らない…。

色んなモノを見て聞いて、色んな人と出会い関わって…という、「経験」という意味での勉強…っていう事ですよね?

殴られないと「痛い」って、解らないしね。
今の子供って、幼い頃にそういう喧嘩もしないから、大きくなって喧嘩した時にいきなり相手が死んじゃって、初めて現実に戻るんじゃないのかな~。
Re:勉強は世界を救う
でも想像力の素材になるのは勉強したことだったりするんですよね。私自身、基礎学力のある分野だとアイデアが2乗3乗になる気がします。

頭悪いと無駄に争うっていうのは私もそう思いますね。
仕事でトラブルとかあったとき、解決方法をひねり出して難なくクリアーする人と、全てを混乱に持ち込む人の違いってやっぱり頭の使い方だなって思う。
あと、以前イギリス人の大学院生とある政治家について話していたとき、「あんな人が外相になったらすぐ戦争になっちゃうねー」という言い方をしていたのが
印象的だった。
頭のいい政治家は問題をコトバでスムーズに解決できるけど、
馬鹿な政治家は戦争というコストの高い手段でしか
解決できない、という認識がこの言い方の裏にはあると思う。
Re:勉強は世界を救う
>>おふたがた

あえて「勉強」とか「頭が良い悪い」とか、古典的な語彙を使ったのは、おふたりの反応のように、読む人によって様々な解釈ができるように、という配慮だったりします。
なので、おふたりが仰ることそれぞれが正しく、それぞれが正解です。

「想像」でも「知識」でも「学」でもなんでもいいのですが、「力」を得るためには何が必要で、何を失ってはいけなくて、何を選び取り、何を手にするべきなのか、そのことを考えるその「過程」にこそ、本当の答えは潜んでいるのだと思います。
Re:勉強は世界を救う
よっひーさんの考えの中に、
勝ち組になるためにはどうしたらいいか?
そんな見方があることが気になりました。

 「力」を得るためには何が必要で、何を失ってはいけなくて、何を選び取り、何を手にするべきなのか、そのことを考えるその「過程」にこそ、本当の答えは潜んでいる・・

何かを得ることが大切なのでしょうか?
自分が何者なのか?何がしたいのか?
どんな指名を持ってうまれてきたのか?

勉強は視野を広げるために必要だと思います。
力を得るためではなく。
Re:勉強は世界を救う
>>太っちょ母さんさん

 はじめまして。どこか他の方のブログで、お名前を拝見したような気がします。

 勝ち組や負け組みという格差を奨励したいわけではない、という断りの意味を込めて、あえて本文中に

>別に学歴社会やエリート社会を推進したいのではない。

という注釈を添えたのですが、それでも勝ち組負け組という固定観念を拭い去ることができなかったのは、太っちょ母さんご自身に「力」というイメージに対する拒否反応があるからだと思います。

 「力」という言葉には様々な要素があって、例えば上のmikoさんは、「他人を思いやる想像力」のことを「力」と言っていますし、途上国の人たちが自力で農業を営む方法を知ることも「力」と表現したり、私利私欲を求めず世界の平和のために尽力することも「力」と表現したりします。
 そういう意味で言えば、例えばダライ・ラマが「力」を得ていなければチベットの平和はもっと早く崩れていたかもしれないし、マザー・テレサに「力」がなかったら、世界には今の数倍の餓死者が存在していたかもしれません。

 「力を得る」という言葉には、そういった広い意味も含まれていて、太っちょ母さんがイメージするような、他人を虐げ、破壊する原動力のことだけを、力と呼んでいるわけではないのです。

 この記事の真の主旨は
「日本は豊かになって、想像力や、思いやりの心といったものを含めて、何も学ばず、何も考えなくても生きていけるようになったけど、それでも、何も学ばず、何も考えないで生きるのって、人間にとっても、世界にとっても危険じゃない??」
ということにあったのですが、これだけ反響が大きかったのは、かなり的を外れたことを言っていたのか、あるいは相当に図星を突いたのか、または私の言葉がまったくもって足りなかったのか、そのいずれかであり・・・いや、すべてかもしれません(笑)。
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