2008年05月12日
ノスタルジーと添加物
昔実家に沿う坂の下に、「ファンシーショップせきね」という、おじさんが一人で経営する駄菓子屋さんが建ったことがある。 ちょうど『ビックリマンチョコ』ブームが下火になってきた、というタイミングで、当初駄菓子だけではまったく泣かず飛ばず、という状態だったのだが、ある日『ニュージーランドストーリー』というゲームの筐体を導入したことで、一躍繁盛店に様変わりした。 しかしそのお店も、結局3年くらいで店を閉じてしまった。 何が起こったのか。当時小学生だった子供たちが中学生になったのである。駄菓子に見向きもしなくなったのだ。 もう一つ。 地元の中学校の近くに、おばさんがやはり一人で経営する駄菓子屋があって、子供たちからは「10円みせ」と呼ばれていた。10円の駄菓子ばかりを販売していたからだ。 「10円みせ」の魅力は、駄菓子とは別のところにあった。 今振り返ると、よく安民宿にある「有料テレビ」の装置を、どこかから借りてきたのだろう、1回100円で10分間ファミコンで遊べる、という機械がそこにはあって、当時最新作だった『グラディウスⅡ』を、友達とよくやりに行った。 ただ、シューティングゲームは、強制スクロールで勝手に画面が流れていく仕様になっているので、どんなにゲームが上手い人でも下手な人でも、“10分”という時間では、どうあっても2面までしかプレイできない、という制限があった。 それでも、100円玉を3枚~5枚握り締めて、足繁く通っていたのだから、きっと相当に面白かったのだろう。 昔はおじさんやおばさんが一人で経営している駄菓子屋さんが結構あって、「10円みせ」とか「おばちゃんの店」とか、様々な愛称で親しまれ、子供たちの憩いの、そして思い出の場所になっていた。 だがよくよく考えると、当時その店に置いてあった駄菓子は、そのほとんどが添加物の固まりのようなものだった。パステルカラーのチョコレートとか、極彩色のガムとか、皆平気で口にしていたものだった。 今、食の安全が叫ばれていて、そういった添加物の入った食品や、農薬を使った食品が、徐々に駆逐されつつある。 もちろん、私たちの生命の安全を保証する、という意味で、食品から添加物や農薬がなくなるのは正しい。 だが、今でも小さく軒を構えて、今日も玄関先で子供たちの登下校を優しく見守るおじさんやおばさんの「10円みせ」が、添加物を使った食品を取り扱っているから、という理由で淘汰されるのは、已む無き犠牲、と考えるしかないのだろうか。 実家のちょうど裏側は、かつて小さな林になっていた。しかし現在はその林は切り倒され、家が建っている。 それと同じように、自然を、食を守るため、「10円みせ」が取り壊されたとき、私たちはそれを、「正義」と、胸を張って言えるだろうか。
- posted by よっひ~ |
- 21:17 |
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