力あれ

 私たちは何かを間違っていたのではないだろうか

 と、考える人は多いと思う。あるいは、私たちは何かを間違って“いる”のではないだろうか、と考えている人も多いだろう。
 だが、一体何が間違っていたのか、と聞かれて答えられる人は決して多くはないだろう。

 例えば、世界は間違っていて、それを是正したいと思う。そのためには力が必要だ。
 だが、何の力が必要なのだろう。
 全世界の人々が涙を流し、我の姿に見惚れるカリスマ性なのだろうか。数多の大魔王が欲したような、全世界がひれ伏す絶対権力なのだろうか。それとも、全世界の資本を自由に操作できるほど、圧倒的な富なのだろうか。

 何かが間違っていて、それを是正する力が欲しい。
 だが実際には、何が間違っているのかも分かっていなければ、何の力があればそれを是正できるのか、それすらも分かっていない。
 それが、現状なのだと思う。

 それは世界レベルでも、個人レベルでも同じことで、例えば職場でゴミの分別が行われていないとする。
 ではなぜ、この職場の人々は今まで生きてきた過程で、「ゴミを分別する」という倫理観を捨て去ってしまったのか、そして、ゴミの分別を定着させるには、自分にどんな力が必要なのか。
 その問いにに答えるのは容易ではない。

 問いがある以上、答えは導き出されなければならない。
 答えが見えている人など、いるのだろうか。

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