我如何に生くべきか

 自分はどう生きるべきなのだろう、と哲学的な問いを立てることがほとんどなくなった。
 いつからそうなったのかは分からない。だが少なくともかつて、自分は、人々はどう生きればいいのか、ということを誰もが真剣に考えていた時代、というものがあったような気がする。

 自分はどう生きるべきなのだろう、と問われて、自分は人を傷つけながら生きていくべきなのだ、とか、自分は人を悲しませて生きるべきなのだ、と答える人はいない。
 同じように、自分は自然を破壊して生きるべきなんだ、と答える人もいないはずで、結局「どう生きるべきか」を問わなくなったことが、すべての元凶なのだ、と思う。

 どう生きるべきなのだろう、どう生きたいと思っていたのだろう。
 そしてそう生きるためには、何をするべきなのだろう。

 今、哲学の意義が問われている。

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