監獄の国

 某レストラングループの契約店長の死亡が、過労死として認定されたらしい。限界を超える残業を強要され、倒れたのだそうだ。

 過労死、と聞いていつも思うのは「そうなる前に逃げ出すことはできなかったのだろうか」ということだが、私自身の実体験から照らし合わせても、「逃げ出す」という行為は、じつは簡単なことではない。
 「死と逃亡」を天秤にかける、ということについて、人は簡単に「死のほうが重く、逃亡のほうが軽い」という判定を下しがちだ。死んでしまっては遅いのだから、と。
 だがこの国では、逃亡した“後”の精神的なストレスと実質的なリスクは、想像するだに尋常ではなく、逃亡した後の罵詈雑言、重圧、手続き、復帰の難易度、そういったことを考慮すると、「逃亡は死よりも重い」と判断する人たちが多いのも理解できる。

 過労死もそうだし、14歳がバスジャックを起こすのもそうだし、秋葉原で無差別殺人が起こるのもそうだし、この国における様々な問題の根本は、「逃げ出せないから」という点にある、と言っても過言ではない。
 逃げてしまったら、死よりも辛い生を生かされる、その現実が、様々な歪みを引き起こす一番の原因だとも言えるのではないだろうか。
 
 なぜこの国はこんなにも「逃げ出せない」国になってしまったのだろう。いや、昔からこの国は「逃げ出せない」国だったのだろうか。
 「逃げてもいいよ」「逃げるべきだよ」そういった言葉が“現実”として通用する国にならない限り、悲劇は、増え続けるだろう。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL

http://www.econakoto.net/life-of-eco/tb_ping/321

この記事に対するトラックバック一覧

コメント

この記事に対するコメント一覧
Re:監獄の国
おっしゃるとおりです。
私もいつでも逃げ出せるようにするため、
日々努力を怠りません。

逃げ出せないというのは、
毎日多量の支出があるために多量の労働収入を
必要とするからだと、私は基本的に考えています。

だからこれは自炊とも関係してきますが、
多量労働=多量支出の両天秤を同時に軽くするために、できるだけ自作で、つまり金を使わずに済ます
生活構造にする必要があると思います。

先日、都庁の課長が自ら4ランクの降格を申し出て
低賃金のヒラ職員になったというニュースがありました。これなどは自主的逃亡の一種でしょう。
生ぬるい公務員だからできることだとも言えますが、
慣習に縛られる公務員社会でよくぞやった、とも言えます。これからこういう勇気ある人は増えていくと思います。
Re:監獄の国
>>カサゴさん

支出、ということで言えば「今の生活習慣」というより、「未来の生活」を考えた場合の怖さ、というほうが大きいと思います。
例えば私は既に3回の転職を経験しているので、今の職場を辞めてしまったら、もう普通の企業に勤めるのは相当厳しいと思います。
正直今のライフスタイルを維持すれば、退職してもしばらくは生活できるんです。ただ、7年後に友人の出産祝いをあげなければいけなかったり、13年後に親の介護ベッドを買ってあげなければいけなかったり、24年後にとうとう自分のご飯が食べられなくなったり、そういう「今後人生の行き詰った時に、身動きが取れなくなる」ということを考えると、逃げ出すことはできないな、と考えてしまいます。

 降格した都庁の課長は、例えば兄弟2人が同時期に交通事故に合った場合、2人同時分の入院費用とか払えるんですかね?
払えるんだろうなぁ。年収500万以上の人は「生き神」ってことで、あんまり物の例えに換算しないほうがいいのかもしれない。
コメントフォーム
名前:
URL:
コメントタイトル:
コメント: