2008年07月30日
「環境教育」と「環境問題教育」
面白い議論を見かけた。 「環境教育」と「環境“問題”教育」は、別物として考えるべきではないのか、というものだ。 要するに「自然は神秘的でかけがえのないものだ」ということを知ることと、「かけがえのないものなのだから大切にしよう」ということは、また別問題として考えるべきなのではないか、というのだ。 この考え方は様々な問題に応用ができると思う。例えば・・・ 「命は大切だ」ということと、「だから人を殺したり自殺をしてはいけない」ということはまた別問題だ。 「世界には戦争に巻き込まれて難民になっている人々がたくさんいる」ということと、「だから戦争はなくしていかなければならない」ということはまた別問題だ。 「森林破壊が地球温暖化を招いている」ということと「だから森林を再生させるような消費を選択しなければならない」ということはまた別問題だ。 要は「かけがえのないものが失われようとしている」という事実を知った時、人はオートメーションで「ではそのものを守らなければならない」という考えに行き着くものだ、と私たちは考えている。 だがそれはいわゆる「性善説」に基づいた幻想にしか過ぎないのではないか。かけがえのないものが失われようとしている時、それを守らなければならない、と思うようになるためにはまた別段階での教育が必要で、そういう意味で、「自然は素晴らしい」という教育と「だから自然を守ろう」という教育は、まったく別物として行われるべきではないのか、とその議論は主張していたのだ。 なかなか鋭い指摘だと思う。 その指摘に則るのであれば、現段階では「環境教育」は盛んに行われているものの、「環境問題教育」は、ほとんど手付かずの状態にある、と言っても過言ではない。 本当は、環境教育を行う「土台」として、「失われようとしている大切なものは、守っていかなければならない」という道徳教育が必要なのではないだろうか。 もう一つ議論の中で面白い指摘だな、と思ったのは、「環境教育」と「環境問題教育」を別物として考えるならば、環境教育の教科書は『アース』で、環境問題教育の教科書は『不都合な真実』になる、という指摘だ。 何か言わんとしていることは、よく分かる気がする。
- posted by よっひ~ |
- 22:07 |
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- Re:「環境教育」と「環境問題教育」
- なるほどと思いました。と言うことは、沈黙の春は環境問題教育の分類に入りますよね。この前、富良野自然塾の体験をした時に、何か物足りない感がありました。それは、環境教育と環境問題教育が一緒になっていたいたからかもしれません。こういうのは最初に教育有りきだと思います。
- posted by ゆたか |
- 2008-07-31 07:57
- Re:「環境教育」と「環境問題教育」
- >>ゆたかさん
例えば「桃太郎」の話があって、あのストーリーって日本人なら誰も知っているんですけど、じゃあ「どこで誰からあの話を教わったんですか?」と聞かれると誰も答えられないんです。
なんだか分からないけれど、いつの間にか知っていて、いつの間にか覚えている。
それと同じような感覚で、「いつの間にか知っていて、いつの間にか理解している」ということに、頼りすぎていた部分があると思うんです。特に道徳心や倫理観に関しては。
- posted by よっひ~ |
- 2008-08-01 21:39


