2007年07月23日
「職場環境」を環境問題として考える
本屋で『職場砂漠』という本を立ち読みする(買わなくてごめんなさい)。 この国の職場環境は想像以上に酷い状況になっているようだ。過労死や職場鬱は増加の一歩を辿り、パワハラやセクハラなどの職場内での嫌がらせの類は枚挙にいとまなく、成果主義の名の下上司は部下に牙を向き、同僚同士のけなしあい貶めあいが横行し、まさにいまや企業は地獄、社員はそこで狂気の犠牲となる恐怖に縛られながら仕事を続けている。そんな現代の職場環境を、この本の著者は、人間関係の乾ききった環境=砂漠と、社員がまるで砂粒が如く扱われている、という揶揄を込めて「職場砂漠」と呼んだ。 正確な数字は覚えていないが、過労死や仕事鬱で自殺する人の数は年間でおよそ300万人程度。もちろんその背後には、自殺“予備軍”となる人々がまた何百万人といて、さらにその背後にそんな苦悩や悲しみを抱える人々と関わる人々がいて、その数は何千万人という数に上る。 職場“環境”というくらいだから、この問題だって立派な環境問題で、しかもこの国における「職場環境問題」は、世界の環境問題よりも遥かに末期的状況にある。 問題は、年間に何百万人という犠牲がありながら、いまだこの社会は現在の成果主義社会や、右肩上がりの幻想を捨てようという気配はないということで、これはエコロジーに転用して考えれば、どんな世界の環境が取り返しのつかないところまで破壊されつくされようとも、人々は現在の経済体系や社会思想を捨てはしないであろう、という一つの実証であるとも言えるし、人間の悪意や欲望はそこまで根の深いものなのだ、という真実を告げる興味深い判例である、とも言える。 百歩、いや千歩くらい譲って動物や植物が蹂躙されている現在の事態に、それが異なる種だから、という理由で心を痛めることがない、という事実を理解できたとしよう。だが人間は、同じ“民族”の同じ“人間”が何百万という単位で虐殺され、蹂躙されても、今の生活や今の社会を変えようとはしないものなのだ。これはこの先、エコロジーを考える上で重要な事実として受け止めておいたほうがいい。 もしこれからエコロジーの重要性が今以上に増して、私たちが今以上に結束を強め、具体的で大きなアクションを起こそうと考えた時に、対峙するのは、それほどまでに大きな、そして悪意ある存在なのだ、ということなのだから。
- posted by よっひ~ |
- 19:41 |
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