「騒がない」の軸

 さて、「騒がない」ですが、これにも2つの軸があります。

 まず、怒りや嫉妬で「自らの心をざわつかせない」ということ。
 宮崎駿のアニメでは、よく人物が怒ったときに髪の毛や全身がふわっと逆立つ描写が見られますが、怒りや嫉妬の気持ちが起こったときには、気持ちが爆発する前に、胸の中に、そのような逆立つ思いが沸き上がるのを感じることができます。
 この逆立つ思いを自覚し、自分が怒っている、という状況に対して冷静でいることが大切なのです。「ああ、今自分の中に嫉妬や怒りが沸きあがろうとしているな」という予感を自覚できれば、それを抑えることも容易になるはずです。
 それは言うなれば、自らを律するという意味での平静、と言い換えてもいいかもしれません。

 もうひとつは、「楽しむ気持ちを節する」こと。
 楽しむこと、というのは基本的にいいことだ、と思われがちです。例えばエコロジーも、真面目に堅苦しく行うより気楽に楽しく行おう、というスローガンを良く見かけます。
 しかし、「楽しい」とか「愉快」という感情も、度を過ぎれば周りの人々の迷惑になったり、暴走すれば分別を失ってしまいます。宴会終わりで酔っ払っているおじさんの集団や、海でぎゃあぎゃあと騒ぎながら花火に興じる若者たちなどをイメージするとよいかもしれません。
 だから、「必要以上に楽しんではいけないのだ」「そんなに愉快でなくてもかまわない」というように、楽しいというポジティブな感覚に対しても、自らを抑制することが大切なのです。

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Re:「騒がない」の軸
こんにちは、ムラオカです。
コントロールすること、中庸を保つことが大事なのだなと思いました。
なにごとも「ほどほどに」「過ぎないように」ですね。
「楽しい」のが「いいこと」として許されるのは、
自分だけが楽しいのではなく、周囲も楽しめることを
考えたうえでのこと。
そのためには客観的に自分を見つめて、行き過ぎていないかどうか
判断すること。
私は浮かれやすいので、気をつけなくては…と反省です。
Re:「騒がない」の軸
>>ムラオカさん

 エコロジーの活動や運動を見たり、参加したりして時折感じるのは、「アンチテーゼとしての振り幅の激しさ」なんです。
 エコロジーは楽しいんだ、ということを強調するためにことさら享楽的に騒ぎ立てたり、その重要性を強調するためにことさらに声を大にしたり、過激な運動に手を染めたり・・・。
 なんか、「反体制」であることにアイデンティティを求める人たちが、エコロジストの中にはいるような気がして、あまりにも反主流であることに主眼を置いてしまうと、結果エコロジーが「ヒッピーカルチャー」のような捉え方をされかねないな、というのが目下の懸念なんです。
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