不信の社会に人々の声は届くか

 選挙・政治、ということで言うと、一番手っ取り早い現状打破の方法はやはり「政権交代」ということになるだろう。自民党に次ぐ第1野党は民主党だが、自民党に負けず劣らず、この民主党という政党も、なかなか国民には人気がないようだ。
 「2ちゃんねる」によると(「2ちゃんねる」が信頼に足るソースであるかどうかは別として)、「民主党は売国奴政党で、政権を取ってしまうと中国や韓国に国を売り渡す恐れがある」というのが、民主党不人気の一番の理由らしい。

 別にここで政党のあり方の是非を論じたいわけではない。現状の政治では、経済成長を最優先させ環境破壊を推し進めてしまっていたり、戦争へ加担するために憲法まで改変させてしまおうとしている、という問題があり、加えて最近では、増税や年金問題など、国民の生活に打撃を及ぼす問題も噴出している。
 だがそれでも政権を交代して国を売り渡したくない、という気運が国民の中には強くあり、それは要するに、環境破壊より戦争より生活苦よりもまず隣の人間が怖い、と、この国の人々は思っている、ということなのだ。

 ただこの、「環境破壊よりも戦争よりも生活苦よりもまず人間が怖い」という考え方は、猟奇的ではあるが決して異常ではないと思う。
 まず環境破壊も戦争も、元を正せばその原因は人間にある、ということもあるし、隣に誰が住んでいるのかも分からず、教師の信頼は地に墜ち、一流企業の社長は錬金術を生み出すために悪の道へ手を染め、警察の不祥事は後を絶たず、金髪の母親が幼い子供を怒鳴りつけ、子供は両親を殺害し、いじめや暴行が次々と明るみに出、環境保護運動と称して怪しい団体への献金を募る人が駅前に大勢たむろし、大人の格好はどんどんだらしなくなっていき、肩がぶつかればお互いがお互いをにらみつけ、店にいけば大絶叫で無理やりなクレームをつける客の姿に出くわし、どこでいつ背中にナイフを突きつけられるか分からない、という状況で「人のことを信頼しましょう」と言うほうが無理、というものなのだ。

 つまり今この国は、誰もが誰もを信用できない「不信の国」になってしまっており、この不信感を払拭しない限り、現状を変えようなどというリスクを伴うようことに手が出せるとは思えないし、自国のことだけに目を向けず、世界や未来のことを考えましょう、と言われても、そんなことができるわけがないのだ。

 この国が、エコロジー大国へと変化するには、まず政治を変えなければならない。だが、その政治を変えるには、まず「隣の人が信用できない」という国民感情を転換させなければならない。「親や隣人や地域や社会に、自分は殺されるかもしれない」と思いながら、「Think Globaly」を実現するのは、とても無理なのだ。

理想論の終焉

 前の記事を書きながら、辻信一氏のトークについて、「平和や環境保護の理想を語ることの何が悪いんだ!」とお叱りを受けそうだったので(笑)、一応ちょっと細かく書いておきます。


①沖縄の基地撤廃について
 沖縄には、日本の米軍基地の75%gが存在している、というのは、GeshiFesで語られた通りだ。日本の国土に米軍基地が存在している以上、アメリカが戦争行為を行う際には、沖縄から兵器が出撃することもあり、それは結局、日本が戦争行為に加担することと同義なのではないか、という意見は、その通りだと全面同意する。
 だが、私の記憶が正しければ、沖縄はその米軍基地を引き受けることによって国からの地方援助金を保障されており、もし米軍基地を本当に撤廃させれば、沖縄の地方財政が崩壊し、倒産する会社や路頭に迷う人々が急増する、という問題が90年代初頭から提議されており、その問題はいまだ未解決のはずだ。
 つまり、米軍基地があってもなくなっても、困る人々が“沖縄県民”の中にいるのであり、そのことを無視して内地の人間が基地をなくせ残せと論議するのは、結局「お国のために沖縄が犠牲になる」という前の大戦の悲劇をそのまま繰り返すことになるのではないか、と思うのだ。
 米軍基地の是非については、沖縄県民が一番利益も損益も被るのであり、内地の人間ができるのは、そのコストとベネフィットをできるだけ均一化できるような政策を考えることと、沖縄県民同士の立場の差を取り持つ仲介役程度のことなのではないか、というのが私の意見だ。

②個人の力で本当に選挙の結果は変わるのか
 これもGeshiFesの話の中で出てきて、これはGeshiFes問わず様々なところで言われていることだが、「変わるのか変わらないのか」と言われれば「分からない」というのが、正直なところだと思う。なぜなら、個人の力が選挙に影響力を持つ、という科学的な統計がないからだ。
 現在の選挙では、各政党の「支援団体」が大きな影響力を持っていると言う。例えば自民党が、牛肉の輸入解禁や憲法9条の改変に関してはアメリカの言いなりになっているのに、米の輸入自由化についてはかたくなに拒否を続けているのは、農協が自民党の支援団体であり、米の輸入自由化を許すと支援団体から組織票が集められなくなるからだ、と言われている。
 それくらい「支援団体」による組織票の力は大きく、結局のところ、「支援団体」対「個人」を考えたときに、実際投票に行く人の数はどちらが多いのだろう、と考えてしまうのだ。例えば「支援団体とその家族、友人」の数が「まったく支援団体にタッチしない個人」の数を上回れば、どうひっくり返っても個人に選挙結果を変える力はない。
 そして、おそらく今は若い人ほど「支援団体の力のほうが強いんじゃないか」と思っていて、その疑心暗鬼をひっくり返すようなデータが、今のところ存在していないのだ。

③ハチドリの物語について
 この話もいろいろなところで耳にする。山が火事になり、動物たちが逃げ惑うところ、1羽のハチドリが自分の口に含める程度の水を火に垂らす。動物たちは、そんなことをして何になる、と言うが、ハチドリは「自分のやるべきことをやるだけです」と返答する、という話だ。
 要するに、一人一人の力は微力でも、それがたくさん集まれば大きな力になる、という教訓を示した話、ということなのだろうが、この話の結末がどうあれ、GeshiFesでの辻氏の話の中では、「結局山火事は消えたのか」が最後まで明かされることがなかった。


 まあこんな感じで、なんかいろいろな部分をうまく隠しながら、理想論的な部分だけを抽出して語っていた感じが、私の中の「うすら寒い」という感覚に繋がっていたのだと思います。
 ただひょっとしたら、現在は沖縄の地方援助金の問題は解決されたのかもしれないし、組織票に個人の力が勝つ、という科学的なデータもあるのかもしれない。何か情報を知っていたら、教えてくれると、嬉しいです。

HAPPY+ENJOY=PEACE???

 なんだかんだと「GeshiFes2007」へ行ってきた。立教大学で知り合った人が行くと行っていたので、それに同行する形で参加することにしたのだ。
 率直に感想を言うと、「環境問題を提議する人々の、悪い意味でのうすら寒さ」みたいなものが出てしまったイベントだったな、と思う。

 まずライブでの電力消費が非常に気になった。別にアンプラグドでなければいけない、というわけではないが、普通に電気を使いPAで大音量を流す方式は、「ろうそくをつけることによって電力の大量消費に抗議しよう」というキャンドルナイト本来の意義にそぐわない気がしたし、現実的にキャンドルをつけることによって節約されるべきだった電力が、あのライブ分で帳消しになってしまったのではないか、という気もした。
 あと、トークコーナーでの辻氏らのトークも、型通りの理想論に終始して、オーディエンスの心に何かを響かせよう、という信念が薄かったように感じられた。細かい部分を挙げればきりがないが、せっかくのキャンドルナイトだったのだから、沖縄に基地をなくそうとか、一人ひとりが行動しようとか、選挙に行って国民の意志を示そうということではなく、キャンドルナイトという行事に即した話をしてくれても良かったのではないか、と思う。
 最後に、実際20:00になって消灯したのが、「ステージの照明」だけだった、というのが非常に残念だったと思う。周りの公園の照明や、ステージ奥にそびえたつNHKのビルの照明は煌々とついたままで、電気が消えましたー、と大喜びするのは無理があったのではないか、と思う。

 結局、きちんと信念を持ってあのイベントに参加した人は別として、たいていの人は、「ライブ盛り上がったねー」とか「ろうそくきれいだったねー」という以上の感想を持つことはできなかったのではないか、と思う。
 最近「Peace9」のクラブイベントなどを始めとする、「HAPPY」とか「LOVE&PEACE」という言葉に則って「ただ享楽的思考に終始することが平和活動に繋がるんだ」という風潮が出現しだしてきて、非常に危ない傾向だと思うのだが、今回のGeshiFesも、そんな風潮に飲まれているような気がしてならなかった。