2007年06月29日
しゃべります(笑)
先日ご紹介したとおり、勝手にラジオを開始します(笑)。 21時より、下記アドレスをインターネットブラウザに入れていただくと・・・ ●http://203.131.199.131:8070/life-of-eco.m3u ラジオが流れます。 ついでにラジオ専用掲示板も作ってみました。 ●http://jbbs.livedoor.jp/news/3923/ ご意見、ご感想などありましたらどうぞ。 正直素人の自己満足なので、駅前にたむろして好き勝手に歌っているストリートミュージシャンを眺めるがごとく、好き勝手に出たり入ったりしてください(汗)。 21時開始です。 ※追記 おかげさまで無事終了致しました。 だいたい50分くらいの番組になりました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。
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2007年06月29日
“持続可能”って何??
「Sustainable(サステナブル)」持続可能な社会、ということが言われるようになって久しい。この国においては、おそらく「LOHAS」の「S」として広まっていった言葉なのだと思うが、この「持続可能」というのがいったい何を指すのかと言われると、返答が難しい。これはおそらく私個人が分かっていないのではなくて、社会的にも「持続可能」という言葉の定義ができていないのだと思う。 「持続可能」という言葉そのものを取れば、その意味は「ずっと続けていくことができること」ということになる。 「持続可能な社会」という言葉は、そもそも「縮小経済」という考え方に対するカウンターとして生まれた言葉だ。地球環境への配慮、ということを考えれば、今ある経済発展や開発を退行させて、経済規模を縮小させてしまうのが一番望ましい(縮小経済)。だが、これまでの発展を昔の状態に退行させるのは現実的に難しいという事実と、政治的なアプローチで言っても市民の反感は免れないであろうというやむを得ぬ事情から、「では環境に配慮しながら経済発展や開発ができるようにしましょう」というのが、持続可能社会の考え方だ。 ・・・。自分で書いていて意味が分からない。一応『eco検定公式テキスト』の記述を写しながら書いたつもりだったが、分からない。要するに、経済的な観点からすれば、「環境保護と経済発展の両立が可能な社会」というのがサステナブルのようだが、なぜそれが“持続可能”という表現になるのかが分からない。 こう考える。「持続可能」ずっと続けていける、というのは、おそらく2世代3世代先(アメリカインディアンの教えの沿って言うならば7世代先まで)のことを想定していると思う。 要するに「持続可能な社会」とは、「2世代3世代先まで、現状の経済が維持できている社会」のことを指しているのだと思う。 この「維持できている」ということが、重要な意味を持つ。つまり、発展を退行させることはできない。ただ、次世代のことまで考えると、これ以上の経済発展は地球環境に深刻な打撃を及ぼす。だからまず、2世代3世代先まで、今の経済状態を維持することを優先に考えないか、というのが、サステナブルなのではないだろうか。 簡単に言うと、「これ以上経済を発展させるのはちょっとストップさせて、まずは現状維持を考えないか」というのが、「持続可能な社会」の本来の考え方なのではないだろうか。 もっと簡単に言うと、「これ以上会社を大きくしようと考えるのを、全企業が一斉に止めてみないか」、もっともっと簡単に言うと「昨年対比、という考え方を全企業が捨ててみないか」というのが、本来の持続可能社会の理想なのではないか、と思う。 これを「経済はもっともっと発展して、かつ環境に配慮していればサステナブルなんだ」という意味で捉える人がいるから、サステナブルの意味が混乱するのだと思う。木材でできた人形や、廃材で作ったバッグなどをサステナブルと謳って販売しているようなところもあるが、そういうのはまずサステナブルの言葉の定義を履き違えているのだと思う。 本来「持続可能な社会」とは、「現状維持社会」と呼ばれるべきものだったのだろう。ただ、Sustainableの訳が「持続可能」ということだったので、やむなく「持続可能な社会」という表現にならざるをえなかった、というのが正直なところなのではないだろうか。 となると、一番の責任は、環境問題にSustainableという言葉を持ち込んだ誰か、ということになるが、そこまで来ると、もう犯人は誰か分からない。
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2007年06月29日
ねとらじはじめました
前回の記事と少し関連するのだが、やはり現在の日本社会の最も奥深い病巣の一つに「不信と無関心」というものがあるのだと思う。 隣の人が信用できない、企業が信用できない、学校が信用できない、政府が信用できない・・・ありとあらゆるところに「不信」の種があり、「信用できないものにはかかわらないほうがいい」というある種健全な判断が、人や地域への「無関心」を生んでいる。 最も身近であるはずのものに無関心であることが、結局は地球環境や子供たちの世代の未来への無関心にも繋がっていく。 だからこそ、まずは隣人や地域、身近な存在と手を取り合える社会を築くこと、これが環境問題解決への第1歩となり、そして、この「エコナコト」のようなブログを通じて、同じ考えを持つ者同士がバーチャルではありながらもコミュニティを形成するということは、人と人とが手を取り合うきっかけとして非常に大きな役割を果たすであろう、と私は信じている。 ただ一言に手を取り合う、と言ってもそれは非常に難しい。なぜなら、「不信」の一番の原因は「相手が何を考えているのか分からない」という点にあるからだ。 だからこそ、環境問題や平和活動に造詣を持っている、私たちのような人こそが率先して自らの情報をオープンにし、手を伸ばしていくことが、大切なのだと思うのだ。 えー、というわけで、前置きが長くなりましたが(笑)、じつは今私は、「ねとらじ」という、個人で勝手に放送しているネットラジオ、というものをやっています。 人が情報をオープンにする手段というものはいろいろあると思います。絵を描いたり、映画を撮ったり、音楽を作ったり、小説を書いたり・・・そういった、「人と人が手を取り合うために、自らの情報をオープンにする手段」として、ねとらじが利用できないかなぁ、と思い、このブログでも、ねとらじのURLを公開したいと思います。 ●http://203.131.199.131:8070/life-of-eco.m3u 放送日は不定期ですが、次回は今日6/29(金)午後9時からやろうと思っています。 当日午後9時以降に、このアドレスをインターネットブラウザに入れていただければ、生放送で私が喋っているのが、聞こえてくるはずです(笑)。 個人が勝手に喋っているだけのものなので、同じくネット上でラジオ番組を持っていらっしゃる石原可奈子さんのような立派なものではありませんが(汗)、もし良かったら聞いてみてください。
- posted by life-of-eco |
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