ラジオ第2回

 ラジオ第2回、本日放送します。

今日は22時より、下記アドレスをインターネットブラウザに入れていただくと・・・
●http://203.131.199.131:8070/life-of-eco.m3u
ラジオが流れます。

ラジオ専用掲示板
●http://jbbs.livedoor.jp/news/3923/
ご意見、ご感想などありましたらどうぞ。

 そもそもの趣旨としては、友人関係に、エコについて考えてもらおうというコンセプトでやっているのですが、話題が話題なので、このブログをご覧の皆様にも通ずるものがあるかもしれません。もし良かったら聞いてやってください。

では、22時開始です。

大切なものが見当たらない

 ロサンゼルスの年間降水量が過去130年で最少になった、というニュースを見た。現地ロサンゼルスでは山火事の発生を危惧してふもとの公園でのバーベキューを禁止するなど、措置を取っているらしい。
 雨と言えばこの国でも「恵みの雨」という言葉があるくらいで、土を育て、植物を育て、木や森を育てる、この星にはなくてはならない存在だ。その「恵み」がなくなるということは、食べ物や緑が育む空気もなくなるということで、いよいよ星は人類を殲滅にかかっているのかもしれない、とも思うのだが、こんな時人類はどうするのだろう。海の水をろ過して水源でも確保するのだろうか。

 じつは私も以前は、地球の気候が変動したとしても、それに取って代わる新技術が開発されればそれでいいのではないか、という考えを持っていた。雨がなくなれば、海の水をろ過する技術が開発されればそれでよい。空気がなくなっても、科学技術で空気が人工的に生成できればそれでよい、と。

 だが、そこには大事な視点が抜け落ちていることに今は気づいている。
 「失われることは、悲しいこと」という事実だ。
 
 水が失われからからに乾いた大地、森が失われ不自然に切り取られた山、美しい空気が失われ濁った煙がもくもくと立ち上る工業地帯・・・。理屈ではない、大切なものが失われた時、人は例えようもない、胸の痛みと悲しさを感じる。それは、子供時代、学校を転校する時に「また新しい学校で新しい友達を作ればいいじゃない」と言われても拭うことのできなかった悲しさ、をイメージすると分かりやすいかもしれない。
 代替物があるから、という理屈ではない。「今、そこにある大切なものが失われる」という悲しみ。それが、現在の社会視点からは抜け落ちてしまっている。

 現在の人々は大切なものを失う気持ちが分からないのだろうか。あるいは、大切なものなど現在の人々には存在しないのだろうか。
 こう書いていて、「はい、現在には、大切なものを失う気持ちはおろか、大切なものなんてものも存在しません」という返事が返ってきそうで怖い。
 友達なんていらない、恋人だって別れてもまた作ればいい程度のもの、ペットだって飼い飽きたら捨てればいいし、ましてや物なんて金さえ積めばいくらでも替えは利く。
 大切なものが何かなんて考えたこともないし、それを失って悲しいものなんてこの世に存在するんですか???
 こんな考えが、現在社会の思想の主流になっていたのだとしたら・・・?

 失ったものは、環境や雨以上にもっと深い物なのかもしれない。私たちは、そこから考えていくべきなのではないだろうか。