2007年07月17日
学ぶことの意義
数学、という学問は計算力を鍛えるのと同時に、「理論的思考」を学ぶ学問である、と言われている。順序だてて物事を説明する能力、科学的な実証を組み立てることで理論を構築する能力、そういった力を身につけることが、数学を学ぶことのもう一つの目的なのだと言う。 すべての学問には、表層的な目的と深層的な目的がある。数学のみならず、例えば国語も、読み書きの能力を鍛えると同時に、様々な論文や物語、古典を読み解くことによって他者の気持ちや社会の様々な事象を理解することを目的としているし、歴史を学ぶのも、ただ過去を知ることのみならず、過去の出来事から現在に通じる共通項を見出すことによって、“現在”を知る手がかりを知るという重要な目的がある。 学ぶことによって、知識のみならず、人間を理解し、世界を理解する“力”が身についていく。それこそが学びの本来の意義である。 だから、本来、学ぶことによって理解できる事象、受け入れられる人や物が増えれば、人は「冷静に」なっていくはずなのだ。理解できる、受け入れられる、そうした「包容力」が、人を“大人”に見立てていき、落ち着きと気品のある立ち振る舞いを築いていくのだ。 だが、現在周りを見ていて、そんな「冷静で、包容力があって、落ち着きと気品のある」大人がどれだけいるだろう。 大人が大人でなくなってしまっている。それは、学ぶということの本来の意義を放棄してしまった、ということなのかもしれないし、学ぶ、ということそのものを放棄してしまった結実なのかもしれない。 華美な服装に身を包み、だらしない姿勢をし、誰彼かまわず大声で怒鳴り散らし、一所にじっとしていられない、そんな大人が蔓延する社会で、果たして「次の世代の子供のために」というテーゼが共通理解として認識されるかどうか。絶望的でもあるし、興味もある。
- posted by よっひ~ |
- 21:52 |
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