「職場環境」を環境問題として考える

 本屋で『職場砂漠』という本を立ち読みする(買わなくてごめんなさい)。

 この国の職場環境は想像以上に酷い状況になっているようだ。過労死や職場鬱は増加の一歩を辿り、パワハラやセクハラなどの職場内での嫌がらせの類は枚挙にいとまなく、成果主義の名の下上司は部下に牙を向き、同僚同士のけなしあい貶めあいが横行し、まさにいまや企業は地獄、社員はそこで狂気の犠牲となる恐怖に縛られながら仕事を続けている。そんな現代の職場環境を、この本の著者は、人間関係の乾ききった環境=砂漠と、社員がまるで砂粒が如く扱われている、という揶揄を込めて「職場砂漠」と呼んだ。

 正確な数字は覚えていないが、過労死や仕事鬱で自殺する人の数は年間でおよそ300万人程度。もちろんその背後には、自殺“予備軍”となる人々がまた何百万人といて、さらにその背後にそんな苦悩や悲しみを抱える人々と関わる人々がいて、その数は何千万人という数に上る。

 職場“環境”というくらいだから、この問題だって立派な環境問題で、しかもこの国における「職場環境問題」は、世界の環境問題よりも遥かに末期的状況にある。
 問題は、年間に何百万人という犠牲がありながら、いまだこの社会は現在の成果主義社会や、右肩上がりの幻想を捨てようという気配はないということで、これはエコロジーに転用して考えれば、どんな世界の環境が取り返しのつかないところまで破壊されつくされようとも、人々は現在の経済体系や社会思想を捨てはしないであろう、という一つの実証であるとも言えるし、人間の悪意や欲望はそこまで根の深いものなのだ、という真実を告げる興味深い判例である、とも言える。

 百歩、いや千歩くらい譲って動物や植物が蹂躙されている現在の事態に、それが異なる種だから、という理由で心を痛めることがない、という事実を理解できたとしよう。だが人間は、同じ“民族”の同じ“人間”が何百万という単位で虐殺され、蹂躙されても、今の生活や今の社会を変えようとはしないものなのだ。これはこの先、エコロジーを考える上で重要な事実として受け止めておいたほうがいい。
 もしこれからエコロジーの重要性が今以上に増して、私たちが今以上に結束を強め、具体的で大きなアクションを起こそうと考えた時に、対峙するのは、それほどまでに大きな、そして悪意ある存在なのだ、ということなのだから。

参議院選挙

 参議院選挙の選挙公報が届いた。区議会選挙や区長選挙だと、まともに選挙公報が届いたためしがないので、今回こそじっくり公報を読んで、候補者を選ぼうと思っている。

 だが、こうして改めて選挙公報を見てみても、いまいち誰に投票すればいいのか分かりづらい。
 理由は大きく分けて2つあって、まず1つは、候補者ごとの“対立点”が非常に分かりづらいということだ。

 今回の選挙は近年では珍しく争点が多い。年金の問題もそうだし、憲法改変の問題もある、環境問題ももちろん争点の一つに挙げられているし、格差の問題や増税の問題もある。
 問題は山積みなのだが、それらに対する候補者の見解がほとんど変わらない。
 年金はただちに不明部分を明確にしすべての人に等しく年金が分配されなければならない、憲法9条は守らなければならない、地球の温暖化は止めなければならない、格差は是正されなければならない・・・。みんな言っていることが一緒なのだ。
 なので、候補者同士の対立点を見るためには、「ではそれらの問題の解決策として、具体的に何をするのか」を見極めなくてはならないのだが、その「具体策」について、公報で言及している候補者がほとんどいない。ほとんどの候補者が「抜本的な見直しが必要だ」とか「新しいシステムを構築すべきだ」などというばかりで、これではどの候補者に投票しても同じなのではないか、と感じてしまう。

 もう1点は、これは東京の候補者に限ったことなのかもしれないが、「1人の力で政治を動かせる」という幻想に縛られている候補者が多いような気がする。
 今回の選挙でも、個人立候補、無所属候補がけっこういるのだが、その政策を見てみると、例えば「高速道路を無料化しよう!」とか「インターネットで選挙ができるようにしよう!」とか、非常にミクロな政策を打ち立てていて、まず議員同士のネットワークというか繋がりによって成立する国会において、そんなミクロな政策が話題に上がることがあるのか、という疑問があるし、その人が当選すれば、独りの力でその政策が実現できるのか、と言われると、決してそんなことはない。
 例えば、某発明家候補の政策を見てみると、すべての項目に「私の発明を採用すればこの国はもっと良くなる」と書いていて、この人はおそらく、いざ「私の発明」を採用しろ、という話になったときに、満場否決されれば、そこで自分が当選した意義が失われる、という事実を見ていない。

 結局は、一番“まとも”な政策を掲げている候補者と、比例代表区は、とりあえず現状打破できそうな政党に投票する、という方法が一番妥当なのかもしれない。

 妥当線で投票しなければならない、という時点で、何かが歪んでいる気もするが。