2007年08月01日
憲法9条は世界の問題
憲法9条についていろいろ語られていて、護憲派と改憲派でいまだに意見が対立しているらしい。 改憲派は、憲法9条を破棄、あるいは改変して日本を軍隊を持てる国にしたいらしい。改憲派が憲法9条を破棄したいとする拠り所は、どの識者も一致していて、「憲法9条は、今の時代にそぐわない」ということだ。 つまり昔は憲法9条があってもよかったが、今はそうではなくなった、というのが改憲派の見解だ。 「時代が変わったから憲法も変えなければならない」。理屈は分かるが、ではなぜそこで「憲法を変えずにまた時代を変えよう」という議論に至らないのだろうか。 時代が変わった、ということは、時代は決して不変的なものなのではなくいくらでも変化可能だ、ということを認めていることになる。ならば憲法を変えるより時代を変えることのほうが楽なのではないだろうか。 要するに、「時代」を中心にして憲法を考えるのではなく、「憲法」を中心にして時代を変えたほうがいいのではないか、ということだ。 前回の対症療法と根本的解決の話にも繋がるが、憲法9条で謳われているのが「軍隊・戦争の放棄」つまり「平和」の問題なのだとすれば、戦争をなくし平和な世界を築くためには、憲法9条を盾にして世界と議論するのが、一番の根本的解決で、「自分の国のものを変えて対処すればいいや」と考えるのは、明らかな対症療法だ。 そこで今気づいたが、大多数の日本人はどうやら「グローバリゼーションにはもうお手上げだ」という気持ちを持っているようだ。 つまり日本の国内で起きたことなら対処できるが、外国で何かが起きたらもう何もできない、という気持ちだ。アメリカで狂牛病が起きたらもうお手上げだ。朝鮮で戦争が起こったらもうお手上げだ。中国で鳥インフルエンザが発生してしまえばもうお手上げだ。EUで異常気象が発生すればもうお手上げだ。世界で環境破壊が起きればもうお手上げだ・・・。 世界で起きていることに私たちは対処できない。昔「アメリカコンプレックス」と言って、アメリカに対する卑屈な気持ちを抱えていたものが、いまだ解消されていなくて、「世界で戦争が起きそうな気運が強まっている」ということに私たちは対処できない、そんな諦念が、憲法9条改変問題の根にあるのでないだろうか。 まず改憲派も護憲派も、議論の舞台を世界に移してみてはいかがだろうか。「世界が変化したので」という前提で始まった議論を、「世界を無視して自国の問題として対処する」ということにそもそも矛盾があるのだ。 例えば改憲派はスイスに行って憲法9条の改変を説き、護憲派はマレーシアで9条を守るデモ行進を行う。そうして、どちらが世界の支持を得られるか、それで憲法9条をどうするか決めればいいのではないだろうか。 それが、本当の意味での「グローバリゼーション」なのだと思うし。
- posted by よっひ~ |
- 20:21 |
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