グローバリゼーションの呪いが、環境の悲劇を増長する

 今日の新聞の1面には、「クリーン開発メカニズム」に拠って、日本が途上国のCO2排出枠を獲得する意向を表明した、というニュースが載っていた。

 「クリーン開発メカニズム」という言葉は初耳だったが、要するに、京都議定書に定められたCO2排出削減目標に、自国の中で達成できる見込みがない場合、途上国のCO2排出削減に協力すれば自国の未達成分をチャラにしてもいいですよ、というシステムらしい。
 そして、なぜ今日本が「クリーン開発メカニズム」に着手するか、というと、日本のCO2排出削減目標に、自国の努力だけではどうも達成できる見込みはなさそうだ、ということになったかららしい。

 しかしいい加減先進国の問題に対して、途上国を引き合いに出すのはやめにしてはどうだろうか。
 そもそも環境問題は、先進国が途上国の資源を“先進国の利益のために”強奪したことに端を発している。途上国の石油資源や木資源を伐採し、途上国の自然を先進国の都合で破壊したことはもちろん、先進国の暮らしぶりを見せ途上国の人々に劣等感を持たせることで、途上国の人々に経済発展と外資こそが発展なのだという夢を見させ、安い人件費で人々を先進国企業の直営工場に従事させ、工場で働けない人々は、コーヒーや果物の農場でただ働き同然の労働を強いり、遺伝子組み換え作物を輸出することで、現地の農業を破壊し先進国向けの農作物に作れないよう操作し、先住民に先進国向けの教育を強要し、そして「グローバリゼーション」の名の下に、世界のすべてを先進国向けに塗り替えていく・・・。

 本当は途上国の人々は、「途上国」と名付けるまでもなく、自らの生活や習慣に満足していたはずで、それを先進国が蹂躙する権利などどこにもなかった。それが今や「グローバリゼーション」の呪いの下、途上国の人々が自ら進んで自らの国の豊かな自然を破壊し、自ら進んで低賃金の工場へ従事し、「アメリカドルがない」という理由で満足な医療や社会保障が受けられなかったりしている。
 その結実が、今日の環境問題なのに、今度は環境問題解決の手立てとして、自国のことを棚に挙げて、また途上国の開発に手を染めようとしている。

 今のような「グローバリゼーション思考」のまま環境問題への対策が続けば、例えば今回の「クリーン開発メカニズム」の場合、途上国で獲得できるCO2排出量が思ったより少ない、という理由から、自国の生産を途上国へ委譲することで、「あえて途上国のCO2排出量を増やす」なんて手段も取りかねない。

 まず先進国は、自らの国の環境問題をどうするのか、そこから考えなければいけないのだ。
 ダグラス・ラミス氏の言葉を借りるまでもなく、環境問題とは「北の国」の問題なのだから。