ビジュアル系少女の命が今も灯っている理由

 かのX JAPANが解散を発表したとき、ワイドショーではこぞって街の人々の反応を取材していて、その中、原宿にいたいかにもビジュアル系バンドのファンだ、という奇抜な衣装を纏った女の子が、こんなことを言っていた。

 「私はX JAPANがいてくれたおかげで自殺を思いとどまることができたんです。だから解散のニュースは本当に悲しいです。」

 なぜ今さらこんなことを思い出したのかと言うと、同じ『エコナコト』の中の、『エコダー』というブログで「ソウルフラワーユニオンこそが本当に音楽で人を救っているミュージシャンの代表格だと思います。」という記事が掲載されていて、では逆に偽善で人を救ったり、あるいは人を救うことのできないミュージシャンがいるのだろうか、ということを考えた時に、彼女のことを思い出したからだ。

 おそらくX JAPAN本人は、明確に人を救おうとか、世の中にメッセージを残そうという意志を持って活動はしていなかったかと思われる。ビジュアル系ということで世間に対する若干のアンチテーゼはあったのかもしれないが、たぶん考えていたことがあるのだとすれば、「音楽で一体になろう」とか、「不満やいらだちのパワーを音楽で爆発させよう」とか、その程度のことだったのではないか、と思う。
 だがX JAPANは、その活動の中で、確実に世の中に対する影響力を持ち、結果一人の女の子の命を救うに至ったのだ。

 例えば失恋して本当に打ちひしがれていたときに、ラジオから流れてきたドリカムの曲に救われたとか、世の中に絶望してふさぎ込んでいた時に、浜崎あゆみの曲の歌詞を見て、自分だけじゃないんだと思うことができたとか、そういったエピソードは方々で聞くし、おそらく人各々の中に、そういった「音楽と救い」に関するエピソードは眠っているのではないか、と思う。
 別に音楽でなくてもかまわない。仕事で疲れていたときに、同僚の元気に励まされたとか、落ち込んでいた時に、友達がなんでもない用件で電話をくれて、そのことで気持ちが軽くなったとか、人生とはそんな「小さな救い」の連続で成り立っている。

 結局人は、生きて何かを為している、ただそれだけで、本人が望む臨まないに関わらず、誰かを救っているものなのだ。
 
 だから特別人を救っているとかいないとか、それが本当なのか偽善なのかはさしたる問題ではなく、人前で歌を歌っている、ただそれだけで、100万枚CDを売ろうが、ストリートで一人ギターをかき鳴らしていようが、平等に人を救っているのだ、ということでいいのではないだろうか。

 命が平等であるように、人を救う力だって、だれもが平等に持っているものなのだ。