2007年10月12日
何を信じればいいのか、という問題
「ap bank work shop」で知り合った人に、「雑誌オルタナ」の購読を勧められたので、2冊ほど買ってみた。まず実物を見てみないことには、購読するかどうかの決定はし難い。 雑誌自体の感想は全部読んでみてから書くとして、直感的に気になった記事について。 以前私はどこかの記事で、日本が京都議定書におけるCO2削減目標に到達できないのは、企業におけるCO2削減努力が一般家庭におけるCO2排出量に追いついていないからだ、という話をどこかで見たことがあった。 しかし、オルテナ内の記事では、企業や行政がCO2削減の努力を一般家庭にばかり押し付けて、自らが努力をしない姿勢を批判している。 環境問題における1つの問題は、諸問題が複雑に絡み合っているため、識者によって問題に対する見解がまったく異なるという点だ。逆に言うと、1つの問題に対する見解がいつまでも統一化されないのだ。 だから、例えば原発の問題に関しても、原発は「放射能漏れによる人体への影響が懸念される」と同時に、「最もCO2排出量が少なく、大量の電力を供給できる」という2面性を持っているため、「豪快の号外」のように、地球温暖化の抑止を啓発している媒体が、同じ紙面で原発反対を表明するのは理論として矛盾する、という批判を受けたりしてしまう。 問題に対する見解が統一されない、ということは、人々に「何を信じればいいのか分からない」という混乱を生み出す。例えば原発は反対するべきなのか賛成するべきなのか、マイバッグは持つべきなのか持たないべきなのか。 人々に、エコロジーに目を向けさせるためにも、「環境諸問題に対する見解の統一」は急務だと思う。 見解を統一する、ということはすなわちは折衷案を見出す、ということで、要するに「妥協する」ということだ。 そのためのヒントが、同じく『オルテナ』内の田口ランディさんのコラムにあった。 田口さんはコラムの中で、原発について次のように語っている。 「私は便利で快適な生活を望んでいます。だから、原発を容認しています。いつかなくなって欲しいけど、いまある原発のリスクは諦めます。」 原発は危険だ。しかし便利な快適な生活には不可欠なものである。ならば妥協案は一つだ。 「危険だし、なくなって欲しいけど、存在は認めます」 このように、ある視点から見た論と、別の視点から見た論をつき合わせて、一つの「統一見解」を出していく。 そうすれば、それを「信じる」人は信じればいいし、「信じない」人は信じないでも構わない。「何を信じればいいのか分からない」という地点からは、少なくとも人々の心は一つの方向へ向くだろう。
- posted by よっひ~ |
- 20:13 |
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