今のほうが絶対に良い時代だ

 エコナコトスタッフブログで、ムラオカさんが「たびびとさんの記事を読んで思い出した」と書いていて、私もムラオカさんとたびびとさんの記事を読んで思い出したことがあった(繋がり方が非常にネットっぽい)。

 それは「物質的な豊かさと本当の豊かさ」ということについてで、「物質的な豊かさ」と「本当の豊かさ」は、本当に相反するものなのか、という問題だ。
 例えば辻信一氏も、スローライフを提唱するに当たって、「物質的な豊かさではなく、本当の豊かさに還ろう」ということを訴えていたが、私はその言い回し自体に非常に強い不快感を感じていた。
 「じゃあ物質的な豊かさは偽者の豊かさだ、と断言するのか」と。

 例えば洗濯機や掃除機の普及は、一般家庭の衛生状態を画期的に良くした。その結果どうなったかと言うと、確実に子供の病気が減ったのだ。工業化の躍進は、公害などの弊害を生み出しもしたが、その工場で生み出された家電製品の恩恵で、日本での感染症などの症例は、確実に減ってきている。
 
 例えば暖房器具の普及は大量の電力消費の原因ともなっているが、暖房器具がなかった頃はどうしていたかというと、煙立ち上る石油ストーブの周りをみんなで囲み、げほげほと煙に咳き込みながら、ただただじっとうずくまっているしかなかったのだ。
 寒さの薄い関東や関西のほうはまだ良かったかもしれないが、寒さの厳しい日本海側や北海道などは、暖を取る為に街の集会所に集まり、子供は大人たちの吸うたばこや酒の匂いにじっと耐え忍びながら、どうすることもできなかったと聞く。
 
 自動車はCO2排出の根源として忌み嫌われているが、おそらく自動車がなかったら、地方過疎で“絶滅”した街は、少なくとも今の4倍程度には膨れ上がっていただろう。

 
 物質的豊かさで、この国は確実に住みやすくなっている。それは“快適”である、ということ以上に、病気になる人が減ったり、過疎地域にもちゃんと食べ物が届けられたり、人の生死を左右するような重い現実にも繋がっている。
 「物質的な豊かさを手に入れたことで、本当の豊かさを忘れてしまった」とよく言われる。しかし、誰かが「忘れてしまえ」と言ったわけではない。私たちは、自分たちの意志で、勝手に「物質的な豊かさの恩恵」を忘れていったのだ。

 村上龍は、「どんなに少年犯罪が増え、道徳心が地に堕ち、自殺や鬱が後を絶たず、国民全体が生き辛さを感じていたとしても、少なくとも、今のほうが昔よりも絶対にいい時代だ」と説いている。
 昔のほうがいい時代だったのだ、と認めてしまうと、先人が今の時代に残してくれた努力はすべて無駄だったのだ、ということになってしまうし、現在の問題を乗り越えて、新しいパラダイムを構築しなければならない事態に、回顧主義はアンフェアだ、ということで、私も基本的に村上龍の意見を支持している。

 失ったものが多かったとしても、得られたものはそれ以上に多い、という点で、環境破壊と言うリスクを負ったにしても、昔よりも今のほうが絶対に良い時代だ。
 だから、物質的な豊かと環境的な豊かさは、本来折衷すべきもののはずで、物質的な豊かさを捨て、昔風の生活に戻れば、それこそが「本当の豊かさ」なのだ、という言説は、子供の病気をなくし、煙の中じっと耐え続けなければならなかった子供たちを解放し、過疎地域で孤独に苛まれる老人に生活を保障するために奔走してきた、先代の「物質的豊かさを求めた偉人たち」に申し訳ないと思う。


 勘違いしないでほしいが、私はムラオカさんやたびびとさんの記事を批判したいわけではない。ただ、環境問題が「現実主義のアンチテーゼ」として、ある視点から目を背けるようなことはあってはならない、と思い、「物質的豊かさと本当の豊かさ」という物言いに、抜けている視点がある、そのことを指摘したいだけだ。