eco philosophy

 「エコ・フィロソフィ(eco philosophy)」という学問がある。
 日本語訳すると「環境哲学」と呼ばれているもので、持続可能な社会、エコロジカルな社会を実現するためには、人の心をどう捉え、社会の価値観の在り方をどう転換させればいいのか、を専門に研究する学問で、東洋大学には、それを専門に研究する研究所などもあるらしい。
 大学における専門的な研究の中から、エコロジカルな社会へ向けての心の在り方の指針が生まれれば、社会の転換や、価値観の転換もぐっと進むようになるだろう。

 じつはこのブログで書いていることも、分野としては「エコ・フィロソフィ」にかなり寄っている。とは言っても私の場合は素人考えなので、学術的な根拠などはまったくなかったりするわけだが。
 
 そんな素人考えで、今現在の「エコ・フィロソフィ」を総括してみると、結局エコロジカルな社会を実現するためには、まず「競争で勝つことが正義だ」と言う考え方をなくしていかなければならないのではないか、と思う。
 競争や闘争、そしてその果ての戦争が、人や地球から資源を奪い、権利を蹂躙し、破壊を生んでいる。現代社会における目下の問題点としては、その「奪略・蹂躙・破壊」が「正義」である、という価値観が定着してしまっていることにあり、そこからの脱却を図るためにまずやらなければならないことは、「競争することのモチベーションを低下させる」ことだと思う。
 そういった意味では、俗に「ゆとり教育」と呼ばれているものにも一理あったはずなのだが、ゆとり教育が失敗したのは、競争のモチベーションを低下させたことで、子供の道徳観や自律心などももろともに低下してしまったことにあり、だからこそ、競争のモチベーションを減らしつつも、子供の自律的成長を促すような教育を行わなければならなくて、そのためには、授業の総量ではなくて、カリキュラムの配分の仕方を考えなければいけなかったのではないか、と思う。
 もちろん子供だけでなく、大人の社会にも「競争」をなくしていかなければならなくて、そのためには、例えば「どんなに年商が上ったとしても、年商が5000万を超えた場合、そこから上の額はすべて環境保護のために寄付しなければならない」などといったルールを法律なり社訓なりで制定する必要があるだろう。

 まあ、簡単にまとめると、エコロジカルな社会の実現のためには、まず「大人も子供も一斉に競争をやめてみる」ことが必要なのではないか、と思うのだ。
 その「競争をやめる」具体的な手立てを、専門的な研究によって指針が出されるのを、私は期待したりする。