理想の相手に、いつまでも出会えない理由

 もうず~~っと前に、『SMAP×SMAP』の特別企画で、松本人志と仲居正広の対談を1時間放送していたことがあって(ドラマ『伝説の教師』をやっていた頃の話だ)、そこで松本と仲居がそれぞれの恋愛論を語る部分があって、その中で松本が、
 「みんな理想の彼女とか理想の結婚相手とか言うけど、理想の女、っていうのは、結局“まだ出会ったことのない女”のことを言うんや」
 というようなことを言っていた。
 どんなに容姿端麗で、どんなに性格が良くて、どんなに自分のタイプとぴったりだったとしても、出会ってしまった途端それは「現実」になる、と続けていて、その頃はまだ文化人的な側面など微塵もなかった松本の口から出た発言として、妙に感心させられてしまったのを覚えている。

 恋愛に限らず、それは人生のどの場面にも言えることで、例えば「仕事・就職」なども、みんなビジネスマンになったらバリバリ働いて、それで且つ自分の趣味もエンジョイして、などの“夢”を見て就職に臨むわけだが、結局仕事を続けられたり、仕事で成功できたりする一番の要素は、仕事を「身もふたもない現実」として受け入れることができるかどうか、にかかっている。
 例えば「努力をすれば必ず結果は出る」と言われても、その内実は「毎日3時間残業できるか」と言うことだったりするし、「がむしゃらに仕事をする」と言われても、その内実は外回りで頭を下げる回数を30回から45回に増やす、と言うことだったりする。
 そういう現実という名の暗部、というかリスクを日常として受け入れられて、初めて自分がかつて思い描いた、仕事の理想に近づいていくのである。

 エコロジーでも同じことが言える。例えば「非電化の生活」と言われると、エコに配慮して、かつ空気も汚さないで、家族の団欒も生まれて、みたいな理想を思い浮かべがちだが、その内実はコンロもレンジもないから朝は毎日5時くらいに起きなければいけないし、子供が寒いだの暑いだのぎゃあぎゃあ文句を垂れるのを毎日なだめないといけないし、CDもテレビもないから、ジャニーズなんて永遠に見ることも聞くこともできない、ということでもある。
 「自給自足の生活」と言われても、その内実は毎日誰からも声を掛けてもらえない中4時間も5時間も草刈を続けたり、雨のたびに作物はどうなってるかレインコートを着て見に行かなければならなかったり、夏になると蚊に刺されまくって、毎日痒くて眠いのに眠れない日々が続くことだったりする。

 未見のものには“理想”がつきまとい、知見となった途端、“身もふたもない現実”が顔を出す。
 だからこそ、エコロジーを“現実”として語れる素養と覚悟が、エコロジストにこそ、問われるのである。