2007年11月24日
この国について
あまりいろいろなことを考えないほうがいいのではないか、と思い始めた。 環境問題に取り組む動機は、大切なものを守りたい、とか、大切な人を守りたい、という思いがその発端にある、ということを以前にも書いた。 だが、現在この国では、誰かを愛したことも、誰かから愛されたことも、誰かを信頼したことも、誰かから信頼されたことも、何かも大切に思ったことも、誰かから大切に思われたこともない、という大人や子供が相当数でいて、そういう人たちが、自殺をしたり、いじめをしたり、引きこもりになったり、殺人を犯したり、ニートになったり、ホームレスになったり、プチ家出をしたり、カルトな宗教にはまってしまったり、公共のマナーを守らなかったり、公共の場で大声を張り上げたり、育児を放棄したり、自分の子供を虐待したり、匿名掲示板であらぬ誹謗中傷を書き連ねたり、ストーカーになったり、偽装をしたり、横領をしたり、人を蹴落として高笑いしたりしている。 たぶん環境問題に興味のある人は、平和の問題にも興味のある人が多くて、上記のようなこの国の現状に心を痛めている人も多いと思う。 私はずっと、環境問題を根本的に解決するためには、上記のような状況にいる人たちも巻き込まなければならない、という立場を取っていて、そのような主旨の記事も何度か書いたと思う。 だがその根は非常に深くて、地球環境におけるポジティブフィードバックがあと10年で始まるのだとして、日本人の道徳心や美徳の崩壊のポジティブフィードバックは既に50年以上前から始まっていて、おそらく、もう現段階で、日本人の「心の崩壊」を止める手立てはない。 環境問題に即して言うと、これから将来、地球の環境は緊迫的状況におかれ、環境保護の声は今以上に大きくなることは必然だろうが、たぶんこの国において、すべての人が「環境は大切だ」と思ってくれる日は、一生来ないだろうと私は踏んでいる。 人は生きているだけで、どうしても人の悪意にぶち当たる。その度に、心が痛くなったり、悲しくなったり、時には腹が立ったりするのだが、もうそういう人たちのことは考えないほうがいいのではないか、という気持ちが、私の心を分断している。 放っておいて、自分でできることを自分で勝手にやっていけばいいのではないか。それこそ“ハチドリのひとしずく”的な考え方なのだが、それが本当に正しいことなのかどうか、答えはまだ出ていない。
- posted by よっひ~ |
- 21:24 |
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