2007年12月13日
「繋がる」という大問題④
④ さて、もう明日なんですね。よっひ~です。 「衝突を経て得られる優しさや誠実さ」という話なんだけど、衝突がない、ということが悪いことなのか、と言うとそんなこともなくて、じつは日本人って、「和を以って尊しと為す」という精神の通り、民族として昔っから衝突が嫌いな民族なんだよね。 たぶんぶつかり合ったり競争しあうことが良し、とされたのはアメリカ式の資本経済が日本に導入された後で、その歴史は50年ちょっとくらいしかない。例えば日本にも戦国時代とか、人々が争い合っていた時代があるんだけど、全国のどの武将を挙げても、ライバルがいてお互いをしのぎあったとか、お互いを研鑽しあった、という記述はどこにもない。 そういう意味で、じつはネットでの繋がり、って日本人的な「衝突を避けたコミュニケーション」の完成形である可能性もあって、今までのみんなのメールを見てると、ネットのコミュニケーションは希薄で脆い、という意見が多かったけど、僕たちの考えているような、深いコミュニケーションが「望まれず失われたもの」なのか、「望んで捨て去ったもの」なのか、判断が難しい。 本音と建前、ってよく言われるけど、そういった文化を国土全域に浸透させるくらい、昔の人たちって、「衝突を避けるためなら、手段は問わない」人々だったんだよね。 で、2つ考えたことがあって、まず1つは、今のコミュニケーションには「格差」がある、ということ。 例えばネットのコミュニケーションだって、ネットができる人とできない人で繋がれるかどうかの格差が出て、『Mixi』のようなSNSを知っているかどうかでも格差が発生する。 つまり、「情報があるかないかで、繋がれる権利が得られもするし剥奪されもする」、情報が繋がりを操作する、というのが現在のコミュニケーションの特徴で、例えば子育てで悩んでいる人がいるとして、その人がパソコンを操作できず、且つ「子育てネット」を検索できなければ、そこでもうOUT、となる。 それがたぶんみんなの言う「希薄」だ、ってことだよね。そういう格差を是正したい、という気持ちはある。 もう1つ。しげさんが焼き芋の話をしてたんだけど、そこで思い出したのが『YMO』なんだよね。 知ってる?イエローマジックオーケストラ。ライディーンで有名なバンド。坂本龍一さんがいた(しつこい)。 YMO、ってコンピューターでレコーディングしてたんだけど、メンバー同士の衝突を避けるために、コンピューターだけスタジオに置いて、メンバーはそれぞれ勝手に違う日に自分のパートをレコーディングするのね。 顔を合わさないから、その時のメンバーの表情は分からないんだけど、残された「音」からその人が意図するところとか、何を考えていたか、というのは分かるのね。で、それを察しながらまた勝手に乗せるところは乗せるに、反るところは反る、みたいなことを繰り返して1つの曲を完成させていく。 なんか「その時の空気や表情ではなく、残された物で相手の気持ちを察して続きを組み立てる」というのが、すごい日本人的で、そういうのが食で応用できないかな、とか考えたりしてる。
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2007年12月13日
「繋がる」という大問題③
③ 毎日メールを送るのもどうかと思うんだけど、時間がないので手段は問わん(笑)!よっひ~です。 やすのメールを見て思ったのは、「繋がり」って失われたわけじゃなくて、 形を変えただけなんだなぁ、ということ。 例えば僕は今『Mixi』で「心の豊かさ」ってコミュニティに入ってるんだけど、 そこって、会員が2万人くらいいて、例えば「寂しい」って書けば何十人という人が慰めたり励ましたりしてくれるし、「優しさ、って何だろう?」って書けば、ああだこうだ、って、それこそ何100っていう意見が返ってきたりしてるのね。 それって、むしろ人と人との繋がりは以前よりも濃く深くなった、とも言えるわけでしょう? ネットの発達によって、同じ考えを持つ人や、同じ悩みを抱えている人が世界中で繋がって、気持ちを共有できるようになったわけで、そういう意味では、いちいち考えが違ったり、どういう人なのか分からない、っていう、地域の人との繋がりが薄れていったのは必然だ、とも言えるし、そういう経緯で地域コミュニケーションが“自然淘汰”されたのであれば、それは“素晴らしい進歩”とも言えるわけだよね。 と、なると「地域のコミュニケーションがなくなって、何か困ることがあるわけ?」という話になるわけだ。 で、地域のコミュニケーションがなくなって、失われたものってやっぱりあって、まず一つは「世の中には自分と違う考えを持つ人がいる、という現実を受け入れる力」、もう一つは「違う考えを持つ人の気持ちを想像する想像力」。 よくニュースなんかで猟奇殺人の報道がされたり、あるいはタバコのポイ捨てとか、自分の子供を殴り飛ばしている親なんかがいたりして、そういう時に「あの人頭がおかしいんじゃないの?何考えてるのか理解できない」と思ったりするけど、何考えてるのか理解できない、というのは、それだけそういった人たちとの接触がなかった、ということでもあって、自分の常識とは違う行動を取る人に対して、「そういう人もいるんだろうな」と受け入れられる寛容さと、「そういう人って何を考えているんだろう?」を推し量る力、それが地域コミュニケーションがなくなって失われたものなんじゃないか、と思うわけです。 う~ん、簡単に言うと「繋がり」そのものが失われたわけじゃなくて、「意見が対立する人との衝突を経て得られる、優しさや誠実さ」が失われたのかな、と思うのです。 例えば、誰かを批判しなくちゃいけない、でもその人をできるだけ傷つけたくない、という時の微妙な気遣い、とか。 う~~ん、何か見えてきたけど、「食」からどんどん遠ざかっている気がする(笑)。
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2007年12月13日
「繋がる」という大問題②
② よっひ~です。 はてさて、事務局からメールが来ましたね。 なかなか飴とムチっぽくて、面白い意見だったと思います。 事務局とハニさんが言わんとしていることは共通していて、「繋ぐ繋ぐ、って言うけど、結局何をどうしたいわけ??」この一言に尽きると思うんです。 この前のワークショップ内の話し合いでも話したけど、「味噌」が大事なのか、「おすそ分け」が大事なのか、というのが、僕の中ではいまだに整理がつかずにいます。 「味噌」が大事だ、と言うなら「じゃあ料理人になればいいじゃん」という話になるし、「おすそ分け」が大事だ、と言うなら、「じゃあ手料理持ち寄って出会い系パーティーでもすればいいじゃん」という話になる。そこを横断して繋ぐ物とは、一体何なのでしょう。 「食べること」が大事だ、ということで考えると、「食育」というものが既にあるし、例えば何か特定の地域名産品としての食を絶滅から守りたい、ということならまだしも、「食」全体を守りたい、というのはさすがに風呂敷が広すぎる、という気もします。 「地域のコミュニケーション」ということを考えると、僕たちは例えば「魚屋さんで買い物と一緒に世間話をする風習は良いものだ」という前提がありますが、たぶんそういうことが「うざい」と思っていて、意図的に避けている人たちもいるはずなんです。 「じゃあ本当に地域のコミュニケーション、って良い物なの?」ということから、 僕たちは伝えていかなければいけなくて、それが事務局の言う「伝えることが難しい」ということだと思います。 疑問は尽きません。 さて、事務局からのメールで聞かれていることは、以下の5点に集約されます。 ・何を取り戻したいのか?(何が失われたと思っているのか?) ・昔と今は何が違うのか? ・自分の住んでいる地域の、何が好きで何が嫌いなのか? ・地域の人にどうなってほしいと思っているのか? ・地域の人とどうやって知り合って、「どうなってほしい」という ことをどうやって伝えるのか? 皆さんはどう考えてますか~。僕もこれから考えま~す。 それでは!!
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2007年12月13日
「繋がる」という大問題①
えー、自宅でうだうだとプチガーデニングに勤しんでいるその脇で、エコプロジェクトに関する話し合いは少しずつすすんでいます。 メンバーが一同に会せる機会がないので、最近はもっぱらメーリングリストでのやり取りになっているのですが、そのメールの内容がブログの記事くらいのボリュームになっているので、ちょっと私からメンバーに送ったメールの中身を公開してみたいと思います。 意見とかあったらぜひコメントください。プロジェクトの参考にさせていただきます(笑)。 ① 皆様~! 悩んでますかー(笑)! せっかくMLができたんだし、ちょっと途中経過で今考えていることを公開しておきますね。 さて、私たちのプロジェクトのテーマは「繋ぐ」ということでして、コミュニケーションの問題なわけです。 私たちが問題視している現状は、コミュニケーションが失われている、つまり孤独で愛を知らない人が多い、ということです。 自分が孤独である、ということに対する対処は2通り考えられると思います。 1つは「諦めてコミュニケーションを遮断する」。ひきこもりとか極端な例でなくても、携帯とか、PSPやDSなどのゲームとか、MP3プレイヤーなんかは、すべて孤独を埋め合わせ、コミュニケーションを遮断する手段です。物で心を埋め合わせて、孤独ではないと思い込む。これもまた方法です。 もうひとつは、「コミュニケーションを渇望する」。つまり自らすすんでコミュニケーションを取っていこうとすることですね。 こういう人が、ワークショップとか、ボランティアとか、NPOとかにすすんで参加したりするわけです。 たぶん私たちのプロジェクトで、巻き込もうとしている人たち、つまりターゲットは後者だと思います。 だから、まず私たちのメッセージは「コミュニケーションを渇望している人たちにきちんと伝わるか」ということを考えなければいけないと思います。 もう一つ。コミュニケーション、というか、新しい何かにチャレンジしたり、飛び込んだりする時に「壁」となるものがいろいろあります。 心、という問題で考えると、それは2つの段階がある、と私は考えています。 1つは、「コミュニケーションそのものの拒否」。つまり、「関わるとひどい目に会いそうだ」とか「興味はあるけど勇気が出ない」とか、コミュニケーションを取ろう、という気持ちそのものに対する抵抗感です。 もう1つは「摩擦の拒否」。非難されたくないとか、言い争いはしたくない、などと言った、コミュニケーションに付随するものに対する抵抗感。 この2つの「壁」を乗り越えて、初めて人はコミュニケーションが可能になるわけです。 これから、プロジェクトの具体的な活動内容を考えていかないといけないんですけど、そこで大切なのは、「ちゃんとコミュニケーションを渇望している人に伝わって」「コミュニケーションの壁を取っ払えるか」、そんな視点なのではないか、と思います。 皆さんも途中経過で考えてることがあったら教えてくださ~い。みんなで考えたほうが早いこともあるよー(笑)。 ではでは。
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