Final Fantasy Ⅶ 、というお話

 『Final Fantasy』という、もう説明も要らないくらい世界的に有名なゲームのシリーズがある。
 Final Fantasyシリーズがプレイステーションに移行されて最初に発売されたのが『Final Fantasy Ⅶ』で、FF史上最もメディアミックスの多い作品として、現在でも続編が引き続き発表され続けている。

 この『Final Fantasy Ⅶ』、じつはエコロジーの話だ、ということを知っているだろうか。
 『Final Fantasy Ⅶ』とは、こんな話なのだ。

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 星の自然や環境の持つ力を司る「ライフストリーム」というエネルギーがある。星のすべての生命は、ライフストリームより生まれ、そして還る。
 この「ライフストリーム」のエネルギーを、「魔晄(まこう)」という別エネルギーに変換して、電力や兵器を発明し、星に産業革命をもたらした「神羅カンパニー」という大企業がある。
 神羅カンパニーは、魔晄エネルギーを一手に牛耳って工業都市「ミッドガル」を建設し、星の電力や兵力を1企業でありながら独占していた。
 魔晄エネルギーによる科学や工業の発展は、星に更なる発展をもたらしたが、その一方で、魔晄エネルギー採取によるライフストリームの搾取は、確実に星の命を蝕んでいた。
 やがて、神羅カンパニーによる事実上の帝国支配、そして魔晄エネルギーによる環境破壊にNOを叩きつけるレジスタンスが生まれた。その名は「アバランチ」。
 アバランチは世界各地にゲリラ的にネットワークを設け、神羅カンパニーによる支配に対抗していた。
 そして、今日、アバランチのリーダー「バレット」は、元神羅カンパニーの兵士「クラウド」と共に、神羅カンパニーの発電所爆破テロを決行する・・・。

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 ここまでがオープニング。神羅カンパニーは、現在の大量生産大量消費社会の象徴だ、とも言えるし、ライフストリームも現在の自然や環境を生み出した歴史の象徴だ、と言えば、かなり今の世界情勢とパラレルになっているのが分かると思う。

 そして、『Final Fantasy Ⅶ』の象徴的キャラであり、最後の敵でもある「セフィロス」。
 彼は「メテオ」という魔法を使い、世界を破壊しようと企む。その根拠は、
 「世界が破滅的に壊滅された時、それを修復しようと大量のライフストリームが投入される。そのエネルギーと一体化し、神と同一の存在となる」こと。
 つまり、現実に例えるなら、地球温暖化によって引き起こされる天変地異を、人為的に引き起こすことによって、地球が人類を滅ぼそうと反発するエネルギーを自分の中に取り込んでしまおう、と考えている、というわけだ。
 これもかなり現実の社会とリンクする思想だと思う。


 最後、セフィロスとの最終決戦の場に向かう一行のシーンがあって、それが現在のエコロジー思想とも共振する部分があってかなり印象的だ。
 クラウドは、最終決戦に赴くにあたって、なんと一旦パーティーを解散させてしまうのだ。
 「なぜ?」「今まで一緒に戦ってきたじゃないか!」訝しむメンバーに対し、クラウドは「そうじゃないんだ」と諭す。

 「俺たちはセフィロスを倒し、世界を救おうと思っている。だけど俺にとってセフィロスを倒すことは、個人的な問題なんだ。
 今度の決戦ばかりは生きて帰れる保証はない。
 俺には、死んで悲しむ家族もいないし、帰る故郷もない。でもみんなには、帰るべき場所があって、帰るべき家族や、恋人や、仲間もいる。
 みんなには、世界なんかよりもっとずっと大切なものもあるはずで、世界を救うなんてきれいごとで、家族や、恋人や、仲間を悲しませるなんて、やっていいことじゃない。
 だから、一度故郷に帰って、家族や仲間を過ごして、それでも、セフィロスと戦って命を落としてもかまわない、と思ってくれるなら、もう一度帰ってきてほしい。」


 「世界よりももっとずっと大切なものがあって、それを優先させた上で、それでも環境破壊を食い止めたいと思う」
 それこそが、環境問題を“個人の問題”として捉える、ということで、エコロジーにとっては最も大切な基盤だと思うし、逆に、エコロジーのために、仲間や、家族や、友達を悲しませるようなことがあっては決してならない、という部分も現実社会と照らし合わせても共感できる。


 かなり長くなってしまった。もうFFⅦ自体は11年も前の作品になってしまったが、11年前時点でエコロジーの思想に触れている点や、あとFFシリーズの中では最も「キャラクターの心の内面に着目した作品」とも言われていて、今現在でも、そのストーリーや教訓は色褪せていないと思う。
 もし時間とゲーム機があったら、プレイしてしてみてください。