条件付で画期的

 1つ分かったのは、自分が考えていることや思っていることと言うのは、自分で思っているよりも“画期的”ではない、ということだ。
 1つ何かいいアイディアが浮かんだとして、例えば「mixi」などで、そのアイディアで検索をかけてみると、だいたい同じようなアイディアを持った人や団体が、既にコミュニティなどを作っていたりする。
 似たような考えを持つ人が一人ではない、というのは非常に心強いが、やっぱり自分が最初ではなかったんだな、と思うと少しがっかりしたりもする。痛し痒しだ。

 そう考えると、じつはもう“画期的なアイディア”というものは、出尽くしてしまっている感もある。
 ただ、単体では既に画期的ではないアイディアだったとしても、組み合わせ方によって、画期的になる場合もある。現代における“画期的”とは、0から生み出されるものではなく、組み合わせ方によって生まれることが多いのだ。

 例えば、屋上緑化なんかがそうで、ただ都市を緑化しましょう、というだけでは、誰だって掲げられる理想だし、その実現性も薄い。
 本来は地べたにあるはずの、緑化地帯を、あえて逆に都市の一番高いところに持っていった、という逆転の発想があったからこそ、屋上緑化が画期的なアイディアとして、受け入れられたのだ。

 単体では画期的とは言えないアイディアも、逆転させたり、あらぬ組み合わせを考えたりすることで画期的なアイディアに生まれ変わることもあって、そういうところから、エコを広める発想も生まれてくるような気がする。

 例えば、マイ箸を持つんじゃなくて、「牛丼もスプーンで食べる」と言ってみたりとか、ね(笑)。