本当はナウシカのようになりたい

 『風の谷のナウシカ』という作品が、自然と文明の衝突と未来を描いたもの、というのは有名な話だ。
 Wikipediaの「あらまし」の欄は、こう記載されている。

 ●
人類は極限まで文明を発達させ自然を征服するが、「火の七日間」と呼ばれる最終戦争を引き起こす。高度な文明は滅び、瘴気(有毒ガス)が充満する「腐海」と呼ばれる菌類の森や獰猛な蟲(むし)たちを生んでしまう。それから千年余り、わずかに残った人類は、古(いにしえ)の文明の遺物を発掘して利用しつつ逞しく生きていた。腐海は拡大を続け、人類の生活を脅かしていた。

 腐海のほとりにある辺境の小国「風の谷」は、大国トルメキアの戦乱に巻き込まれた。「風の谷」の族長の娘であるナウシカは、過酷な運命に翻弄されながらさまざまな人びとと出会い、自分自身と世界の運命、太古より繰り返されて来た人の業とも呼べる営みに向き合い、大国と小国そして腐海と人類との共生の道を探す。
 ●

 私は原作をいまだに見たことがないのだが、映画版のラストで、子供の王蟲(オーム)を人質にしておびき出し、王蟲の暴走を帝国にぶつけ、トルメキア国を滅ぼそうというシーンがある。
 トルメキア国は古の破壊兵器「巨神兵」を投入するも、王蟲の暴走を止めることができないどころか、王蟲の怒りはますます激しくなるばかりだ。

 
 あのラストシーンが、現在の世界の状況とダブって見えている。
 
 トルメキア国が現在の人類、つまり資本主義社会や科学社会、高度文明の象徴だとするならば、王蟲は文明崩壊と自然復興によって生み出された「環境」の象徴である、という有名な論説がある。
 今世界は、地球温暖化や天変地異、貧困や戦争などの諸問題を抱えていて、エコロジストと言う名の“王蟲”が、世界を変革させようと向かっているのを、資本主義社会人や文明社会人は、科学技術や、あるいは「無関心」と言う名の“巨神兵”によって、迎え撃とうとしている、という状況だ。
 
 一つ言えるのは、『ナウシカ』のあのシーンのように、エコロジストも、いわゆる文明人も、今や怒りと憎しみで分別を失っているように感じる、ということだ。
 文明人は、「今だけ良ければよい」「世界の惨状など知ったことではない」という態度で、今も怒りと憎しみを基調とした競争と奪い合いを続けていて、エコロジストも、「世界を変えなければダメだ」「文明は環境の敵だ」と、やはり世界の現状への怒りや憎しみを原動力として、世界を動かそうとしている。
 巨神兵は身体をどろどろにし、意識もままならないまま、その力の限り破壊を続け、王蟲は目を真っ赤にして暴走を止めない。

 ナウシカは、映画では、そんな文明人と環境人の、オルタナティブを示す存在だった。
 文明人に所属し、文明の恩恵を疑いなく受け入れながら、王蟲の声を理解し、映画の最後には、王蟲の暴走を死を賭して受け止め、王蟲に受け入れられる。

 私は王蟲ではなく、ナウシカのような存在になりたい、と思う。

 ナウシカが映画でやったこと。それは人類の一員として王蟲に対抗するのでも、王蟲の仲間として人類に反旗を翻すのでもない。

 両者の間に立ち、自らの生命を以って、両者の怒りを鎮めたのだ。