2008年01月17日
ただ春の夢の如し
医療費が払えない人が増えているらしい。経済的な理由で、医療費が払えないため病院へ行くことができず、取り返しのつかない事態になることもあると言う。 たとえ病院に行けるだけの資金があったとしても、今後のことを考えると不安で、その場で医療費として金を失うことを拒む人もいるらしい。 どんな小さな病気であっても、放置し、悪化させていけば、最悪の場合、死に至る可能性もある。だがそういう人は、医療費を払うことと死を天秤にかけて、死を選ぶ、いや、選ばざるを得ない境遇にいるのだ。 エピソードを一つ。 「目」と言うのは筋肉の力で収縮し、ピントを合わせている。筋肉、ということは、筋肉痛になることもあれば、筋肉がなまる場合もあって、「不同視」と呼ばれる、右目と左目の視力が異なる人は、徐々に徐々に見えるほうの目だけを使って生活するようになり、使われなくなったほうの目は、だんだんと筋力が衰えていき、最悪の場合失明に至ることもある。 この場合、最悪の事態に至るまでに、眼鏡を掛けて見えないほうの目も矯正してやれば、使われなくなった目の筋肉が活動を再開し、視力が復活する可能性もある。 今日、ちょうどそんなお客様の相手をした。その人はタクシーの運転手で、既に左目が失明寸前にまで衰えていた。もちろんこのまま裸眼の状態を続けていれば完全に左目が失明する可能性もあったし、何よりそんな状態で運転を続けていたら、事故にあう可能性も考えられた。 それだけ不同視が進んでいる以上、いわゆる「5000円メガネ」では、既に矯正は不可能な状態になっていて、リハビリ的に目を使うためのメガネ、と仮定しても、15000円~20000円程度は必要だと判断した。 「15000円でちゃんと矯正しないと、取り返しのつかないことになる可能性もあります」 そう伝えると、彼はしばらく考えて、こう言った。 「そこまで支払う能力がないので、少し考えさせてください」 15000円。ちょっとしたゲーム機よりも安価な買い物である。だが彼は、「15000円を支払うか、失明する危険を取るか」で、「失明」のほうを選んだのだ。 よく環境問題への無関心の理由として、「“今さえよければそれでいい”と思っている」ということが言われる。 だが、医療を払うことと死を天秤にかけて死を選ぶ人がいて、15000円と失明を天秤にかけて失明を選ぶ人がいる。 本当は「今さえ良ければ」ではなく、「今しか良くできない」という人がたくさんいるのではないか。今日の出来事でそう思わざるを得なかった。 死を選ばなければ今日の飯が食えない、将来のことを考えると、失明よりも15000円を死守しなければならない、そんな人が、どうやって世界の未来や、子供の世代のことを憂えることができよう。 エコロジーとは、今日と同じ明日がやってくると約束された人だけに許された特権なのではないだろうか、そんなことを感じた。 現実は、私たちが考えている以上に、絶望に満ちているのかもしれない。
- posted by よっひ~ |
- 23:31 |
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