2008年01月30日
道徳の時間
さて、心はどこへ行ってしまったのだろう。 というわけで、まず道徳教育についていろいろと調べてみた。日本人の道徳観が失われたことが、日本人の心が失われてしまった原因なのではないか、と考えたのだ。 ・・・ 何か違う。 確かに道徳教育は、人としてあるべき心の在り方を説いているように感じるし、礼儀や感謝、節制や畏敬の念など、今の世に失われつつあって、学ぶべきことは多い、ように感じる。 何か違う、と感じたのは、道徳教育も「教育」である以上“模範解答”があって、その模範解答が何であるのか、誰もが分かっているのではないか、と思ったからだ。 例えば、「A君はお母さんからりんごをもらいました。しばらくしてA君の弟が帰ってきて、その時にはりんごはもう1個もありませんでした。A君は弟にどうしてあげたらいいですか?」 という設問があったとする。 おそらく誰もが異口同音に「弟にりんごを分けてあげるべきだ」と答えるだろう。それは正しい。そして、それはみんな分かっている。 例えば、電車の中でお年寄りを見かけたら席を譲ってあげる、街中にゴミが落ちていたら拾う、迷子になっている子供がいたら声を掛けてあげる・・・、道徳において先生が望む解答はみんな分かっていて、そうすることが正しい、ということもみんな分かっている。 だが、やらないのだ。 道徳教育における問題点、というか限界は、 「そんなことは言われなくたって分かっている。でも現実にはやらない」 というその1点に尽きる。 だから、道徳とは何なのか、どうすれば道徳心が身につくのか、どうすれば効果的に道徳心を育めるのか、という議論にはあまり意味がない。 みんな道徳心は何なのか分かっているし、知識としての道徳心は、どんな人にも身に付いている。 だが、それを実践に移す人がいなくて、道徳教育で議論すべきは、 「どうすれば身につけた道徳心を実践に移すようになるのか」 これに尽きると思うのだ。 さて、知識として心の正しさは身についている、と仮定すると、では心はどこで捨てられてしまうのだろうか。 さらに旅は続く。
- posted by よっひ~ |
- 21:40 |
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