森の中へ

 高尾山に行って、掴んだことが2つある。

 まず、私たちは環境が問題だ、と声高に叫びながら、「緑と一体化」する、という感覚をほとんど忘れてしまっている、ということだ。
 特に東京での環境運動がそうだから、という部分が大きいのかもしれないが、例えば森が大事だ、という場合にも私たちは森の中で生活しているわけでもないし、森の中に家を持っているわけでもない。
 オーガニックの食事が大事だ、という場合にも、自分が実際に有機栽培の野菜を育てているわけではなくて、どこか遠い地から届けられるオーガニック食材を“供与”されているだけに過ぎない。
 自然が大切なのは分かる。だが、それは知識と情報として「理解している」ということだけであって、「知って、理解する」ということと、「実際にその中で生きている」ということでは、意味合いが異なる。
 森や緑の中に“内在”している美しさや癒しなど、森の中に生きていないと分からないこと、というのはたくさんあって、そういう「森の中に生きていないと分からない」ことがある、ということ自体を、私たちはほとんど忘れてしまっていて、忘れている、ということにすら気づいていない場合もある。
 だから、都市のおける環境活動というものには限界があって、そのことを、特に東京や都市に生きるエコロジストはそろそろ認めてもいいのかもしれない、と思った。

 そしてもう1つは、私たちの心が失ってしまったものは「静けさ」だ、ということだ。
 私たちは生まれた時から喧騒や溢れる物に埋もれ、情熱や努力や盛り上がりが何かのムーブメントを起こす原動力となる、という教育を施されることによって、エコロジーであるなしに関わらず、「騒がしいこと」「燃え上がること」「盛り上がること」が正義である、という意識を常に叩き込まれている。
 だがそういった意識は「常に騒がしくないと退屈だ」「常に心が燃え上がって、盛り上がっていないといけない」という強迫観念にも繋がり、それが、娯楽がないと生きていけなかったり、自らを飾り立てて虚勢を張ったり、たくさんのものを消費することが快楽だ、という認識を生んでしまうことにもなる。
 森は静かだ。そして、本当に生きることの喜びや美しさは、その森のような「静けさ」の中にこそ存在している。
 だからこそ、自然と共に行き、自然と一体化することの大切さを知る心を養うためには、まずすべての人が「静かであること」に喜びや美しさを見出す心を取り戻さなければならないと思うのだ。

 実際、やはり森の中に身を置かないと気がつかないことや、忘れてしまっていることが数多く存在する。自然と共に生きる、とはどういうことなのか。そのことを知るためには、まず「森の中へ行くことだ」と、今回高尾山に行って痛感した。

 また何か、見えてきた気がする。

高尾山へ行ってきた

 休日を利用して、高尾山へ行ってきた。高尾山とは知る人ぞ知る東京都唯一の山である。緑に触れたい、と思ったからだが、なぜ高尾山なのか、と理由を問われれば「直感で」としか言いようが無い。

 朝5:30に起きて7時には家を出たので、9時には高尾山口の駅に着いた。それでも2時間。東京都もなんだかんだと広い。

高尾山口
 これでも東京都だ。

 通常高尾山に登るためには、徒歩ルートとケーブルカールート、そしてリフトルートの3パターンがあるのだが、今日はあいにくケーブルカーが年に一度のメンテナンス日ということで運休していたので、リフトを利用することに。
 リフト。よくスキー場などにある、あれである。
 
リフト
 こんな感じで山道を登っていく。

 リフトで登れるのはそれでも山の中腹までで、そこからは徒歩で山頂を目指すのだが、道が舗装されているので、いわゆる登山というイメージとは程遠い。実際に地元の人たちにとっては、気軽な散歩コースになっているようだ。

山道

 山頂まであと少し、というところにお寺があって、そこで地元の小学生が総合学習の一環で、高尾山のガイドをしてくれた。

テラ
 画用紙を持っているのが小学生で、何班かに分かれて観光客を捕まえては、学校で準備してきた資料を使って一生懸命ガイドをしていた。
 私もガイドしてもらったので、そのお礼にそのお寺の売店で売っていたかりんとうを買ってあげた。そういう出会いも、旅の楽しみだ。

 山頂まではだいたい30分も歩けば到達してしまう。昨年末に野山北・六道山公園で3時間の遭難を経験した私からしてみれば、まったく苦にもならなかった。

山頂
 山頂の展望台。

富士山
 /(^o^)\フッジッサーン

 山頂の展望台のベンチ脇に、ポテトチップスの空き箱が捨てられているのを発見してしまった。
 気になる、ひっじょーに気になる・・・

 そこで、「エコロジーアイドルよっひ~の勝手に山頂ゴミ拾い」開始。
 ちょちょっと山頂を2・3周。

ゴミ拾い
 意外と貯まってしまった(;´д`)。

おそうじじぞう
 お掃除地蔵にお供え。いや、ちゃんと家まで持って帰りましたよ。

 帰りは、あえて舗装道路ではなく、脇の未舗装の山道を通って帰ることに。

帰路
 山道を歩いているといろいろなことに気づく。
 通常、私たちは日の光を「ある」ものとして捉えていて、それを疑うことがない。
 だが、山道の木々からこぼれ落ちる光を見るごとに、日の光は紛いもなく、天から降り注いでいるものなのだ、と気づかされる。

木漏れ日

 結局12時くらいには下山し、高尾山名物とろろそばをいただいて帰宅。

茶屋
 茶屋の窓から。
 さすが名物というだけあって、とろろの粘りがスーパーに出されてしるようなものとは全然違う。おいしくいただきました。

 とりあえずこの記事では旅行記まで。
 感じたことは次の記事で書きます。