FIELD GLASS

 双眼鏡に 映るのは 遠い街の 景色
     幸せそうに カップルが キスして また笑う

        双眼鏡を 外したら 僕がそばにいるよ
               背中をずっと見つめてた 僕がそばにいるよ

                             高橋幸宏「FIELD GLASS」


 視野を広く持て、と言われる。自分のことばかりに目を向けてばかりで、他人への思いやり、恵まれぬ人への慈悲、そういった物事を広い視野で見つめること忘れてしまったから、不寛容、拒絶、そして環境の破壊は起こったのだ、と。

 そう言われると、ある人ははっと気づいて、世界のことを語ったりする。
 世界には私たちの国よりさらに恵まれない人がいて、私たちの国よりもさらに悲しい悲劇があって、だから私たちの悩みなんてどうでもいいようなささいなもので、私たちはむしろ恵まれていることに感謝すべきだ、と。

 分かるだろうか。そういう人は、視野を広く持ったのではない。視野を“遠くに”持って行っただけなのだ。

 例えば、絶対的な金銭の額で、持っているか持っていないか、ということで言えば、私の国の貧困層よりも金銭を持っていない国や人はたくさんいる。
 だが、それはその人が現在の状況を“恵まれていない”と感じるかどうか、とはまた別の話だ。

 この国には年間3万人の自殺者がいて、ある国ではまた何万人もの餓死者がいる。
 この国の自殺者と、彼の国の餓死者。どちらが悲しみに打ちひしがれ、絶望に苦悶しただろうか。

 それは比べようがない。

 視野を広く持ち、グローバルな視点を身につけよ、と言われ、世界に“だけ”目を付け、足元をおろそかにする、してもかなわないと断ずる人は少なくない。
 それは、要するにピンホールから双眼鏡に持ち替えただけのことで、遠くはよく見えるようになったかもしれないが、

 見えている世界の範囲は、何も変わっていない。

トラックバック:すべてのエコナヒトへ

 人類の歴史は争いの歴史であった、と言われています。
 そして争いこそが、人類の進歩と発展の原動力であった、とも言われています。

 人々の争いの火種は、科学技術の発展と共に拡大の一歩を辿り、ついに20世紀は“戦争の世紀”と呼ばれ、争いの火は、全世界を覆うこととなりました。

 人間同士の争いは、この星の破壊を招き、罪のない人々や、たくさんの動物たち、そしてこの星の自然が犠牲となりました。
 そして今、その犠牲の果てに、この星そのものが滅び、人類の歴史も絶えようかとしています。

 なぜ争いは絶えなかったのでしょう。
 それは、人間には「欲望」があったからです。
 「欲望」とは、生きるのに最低限必要だ、という以上に、何かを欲しがったり、何かをしたい、と思うことです。
 この星のすべての生命には、「生きたい」と願う根源的な本能があります。しかし、どの動物も、どの植物も、自分が生きられる最低限のもの以上に、何かを欲したり何かを蓄えたりすることはありません。
 生きるのに必要のないものまで欲しいと思う、もっとたくさん欲しいと思う、他人のものですら欲しいと思う。そんな「欲望」を持っているのは、この星においては、人間だけなのです。

 ではなぜ、人間はその進化の歴史の中で、「欲望」を持つに至ったのでしょう。
 それは、人間は「静けさ」と切り離されてしまったからではないか、と私は考えています。

 かつて人間も、森と共にあり、森の一部として生きていました。ゴリラやオランウータンの生態が、それを物語っています。
 森の中は本当に静かです。木々のざわめき、小鳥のさえずり、風の音・・・。それらの音すらも、すべてが静寂の中にあり、森の中に入るたび、人間もかつては静寂の一部であったのだと、祖先から受け継がれたDNAが訴えかけているようにすら感じます。

 それがいつしか、人間は、その森を、その静けさを捨て、喧騒や、騒がしさや、物に溢れたごたごたとした環境を好み、愛するようになりました。

 無より有を、静よりも動を、寂よりも騒を愛す。それはより激しく、より騒がしく、より溢れた状態が良い、という認識に繋がります。
 0より1が良い、と思えば、1より2、2よりも3が良い、と考えるのは、自然な流れです。

 そしてそれがやがて、生きていくのに必要な上限を超えて、「欲望」という情念に発展したのではないでしょうか。

 つまり、破壊の根源には争いがあり、争いの根源には欲望があり、そして欲望の根源には喧騒があるのです。
 
 
 だからこそ、この星の環境、そして未来を憂う人ほど、どうか「静けさ」に立ち返ってほしい、と願うのです。
 
 地球を守りたい、地球の環境を救いたい、と思うことも、ある種の「欲望」です。
 だから、この星の未来を憂う人の中には、「もっと大きな運動を」「もっと大きなムーブメントを」「もっと大きな変革を」と、声高に叫び、現代社会にアンチテーゼを投げかける人も少なくありません。
 でもどうか、ふと顧みてほしいのです。そんな「もっと大きく」という欲望こそが、この星の破壊を招いた根源だったのではないか、と。

 この世界から失われたものがたくさんあります。だが、それを失わしめた人間の、心の奥の奥底を覗いていった時、本当に失われたものとは、あの森の中にあった静けさではないか、と思うのです。

 どうか、もっと静かに。どうか、自然と共にあった、あの静けさに、帰ってください。

 私からの、願いです。