「静寂」は絶滅危惧種

 最近になって、「環境問題の根本は人々の怒りや憎しみの心にあって、その怒りや憎しみの根本となっているのは『静けさの喪失』である」という説を打ちたて、このブログでもしきりに言うようになった。
 こう思うようになったのは、これまでこのブログを通じて様々な環境問題について、調べたり分析したり考証を重ねた結実でもあり、またその過程で出会った“老子”の思想の影響でもあったりする。
 しかしどうやら、環境問題において“静寂”を切り口に考えているのは、どうも私だけではないらしい。

 今日の新聞に「高尾山にトンネルを作る」案件への、生態系や自然への影響を懸念した訴訟のニュースが載っていたのだが、そこで、高尾山にトンネルが掘られることによって失われるものとして、生態系や自然だけでなく、「静寂や音風景」もあるとして、トンネル工事差し止めの訴状に「静寂と、自然音による“厳粛な雰囲気”の破壊」も含まれている、という事実を知った。
 つまり、何も音がしない、という「無」の状態の価値を高尾山は保有し、それを破壊することは強奪に等しい、と原告団は訴えたのである。

 「無音である」「静寂である」ということに価値を見出せるかどうか。
 それは自然を愛し、自然を守るということにおいて非常に重要な観点だと思う。
 これからはもっと、「無音・静寂」の価値を見直すべきだと思う。
 自然と共生する、ということは、静寂と共生する、ということに等しい。エコロジーに配慮したライフスタイルとは、それ即ち静寂に配慮したライフスタイルであり、これからの人々のライフスタイルには、静寂がもっと必要とされるべきだと思うし、そのことを司法や社会はどう判断するのか、という判例を下す意味でも、高尾山の訴状は興味深い。

 とにかく、今や動物や植物と同じように、「静寂」も絶滅の危機に瀕している。早急に、保護しなくてはならない。