2008年03月29日
アンチエイジングと「退行願望」
例えば、子供に対して「男は泣いてはいけない」という教えがある。教え、というよりも規範、と呼ぶのが正しいかもしれない。毅然たる男が涙を見せるのは恥ずべき行為だ、と言うのである。男らしくない、と。 だが、そういった子供に対する感情の抑圧は、一種の精神的な暴力に他ならない、と、世界で最も影響力を持つ禅僧、と呼ばれるティク・ナット・ハンは説いている。身体的な暴力だけでなく、そういった精神的な抑圧や暴力が、怒りや恐怖、そして平和の崩壊へ繋がっているのだ、と。 ノーベル平和賞受賞者であるベティ・ウィリアム女史も同じことを言っていて、泣きたい時には泣く、「泣く」という感情を受け止めてあげることこそが、調和と平和の基礎なのだ、と説いている。 だが、厳密にはそれは間違っている。 男らしさ、女らしさ、<らしさ>とは、抑圧ではなく「社会性」である。 人は誰もが相互依存の関係のネットワークの中にいる。そして人は誰もが、いつか個人の世界から社会へと飛び出していかなければならない。その時、関係という名の“縄”は、否応なしに個人を縛り付ける。 すべてが個人の自由、というわけにはいかない。その時に、自らを律し、社会の中で自らを自制する修練、それこそが<らしさ>である。 現代は「すべてが個人の自由・すべてが平等」という歪んだ認識が横行し、大人らしさや、親らしさ・年長者らしさ、<らしさ>が破壊されたことによって、社会性が崩壊し、それが人間関係の希薄化に繋がっているのだ、と早稲田大学の加藤諦三教授は説いている。 この二つの話を比して思い出したのは「アンチエイジング」という考え方だ。 「アンチエイジング」とは、本来身体的な老化に拮抗することだが、現代では大人らしさや親らしさ、年長者らしさといった、精神的な成熟を拒絶し、拮抗する「精神的アンチエイジング」が蔓延しているのではないか、と思うのだ。 大人になりたくない、成熟したくない、そういった思いは、「退行願望」とも呼び換えられるものかもしれない。 大人が本来の役割を果たしていない、親が本来の役割を果たしていない、教師が本来の役割を果たしていない、そんな印象を持たざるを得ない事件や場面が多い。それは、「未成熟」と言うよりも、身体的な老いを拒否するのと同じように、精神的な成熟を“自発的に拒絶している”と、言えはしないだろうか。 個人的な憶測の域を出ないが、深夜のコンビニで地べたに座り込んで、地面にゴミを撒き散らしながら談笑する10代の姿を見て「いいなぁ。自分もあんなふうになりたいな」と、素で憧れる40代50代がいるような気がする。 本来規範を示さねばならぬ大人が、未成熟な若者の横暴振りを見て、その「未成熟さ」に憧れる。 そんな逆転、いや「退行現象」が、社会の様々な規範を壊している、ような気がしてならない。
- posted by よっひ~ |
- 22:42 |
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