環境破壊の「根」は見えているか

 環境が破壊されるのは、環境を破壊する人がいるからである。
 そして環境が破壊する人が絶えないのは、環境を破壊しなければ生きていけない人がいるからである。

 ・・・と、言葉にすれば簡単だが、「生きていけない」という状況をイメージするのは簡単ではない。
 例えば「いつでも蛇口をひねれば水が手に入る。これは世界的に見れば非常に恵まれたことだ」とよく言われる。ここまで極端な例だとかえってイメージも付きやすいが、アマゾン流域で森林を伐採して農園を営む人や、オーストラリアで安価な牛肉を生産している酪農家はそこまで貧しいわけではない。
 しかし、そういう人たちは森林を伐採して農地を確保しなければ、税金を払えなかったり、両親が倒れたときに介護ベッドを買ってあげられなかったり、子供がいじめにあった時に避難措置を取ってあげられなかったり、野菜に多量の農薬が混入されていると分かったときに有機野菜を選ぶことができなかったり、他の家庭が当たり前のように持っているものを持てなかったりする。

 現実に食べるものがなかったり住む家がなかったりすることを「生きていけない」とイメージするのは簡単だが、「みんなが当たり前のようにできることができない絶望」のことを「生きていけない」とイメージするのは非常に難しい。それは日本がまだまだ格差が少なく、「みんなが当たり前のようにできることができない」ということが、どれだけ絶望的なことなのか、をイメージすることができないからだ。
 世界には、環境を破壊しなければ「衣食住に困る」のではなく、「みんなが当たり前のようにできることができない」という意味で生きていけない人が溢れていて、そういった人たちは、経済や勉学や技術の面で「弱者」にあたり、環境を破壊する以外の手立てで収入を得られる機会を阻害されているため、環境を破壊する以外のライフスタイルを選択することができない。
 つまり言い方を変えれば、環境破壊が一向に止まらないのは「弱者」が存在するからだ、という言い方もできる。

 同じようなことはじつは日本国内でも起きていて、ホームレスなどの極端な例を持ち出さなくても、例えば引きこもりやフリーター、派遣社員や年収300万以下の正社員など、いまや「みんなが当たり前のようにできることができない」人々が、国内にも溢れている。
 日本はまだまだ格差が少ないと言われていて、「みんなが当たり前のようにできることができない」という状況はまだまだ深刻ではない、と思われているが、今現在既に、例えば海外旅行に行くことができない層や、劇団四季のミュージカルが見られない層、富士山登山ができない層や屋久島の縄文杉を見られない層などは確実に発生していて、そういう人たちは、経済的な理由で趣味や娯楽や興味の幅が制限されるため、パチンコに行ったり公園でビールを飲んだり、コンビニでフライドチキンを食べたり、「近隣で安価な買い物をしてゴミを出す」という程度の楽しみしか選択ができないでいる。
 そういう意味では、程度の差はあれ、環境を破壊しなければ「みんなが当たり前のようにできることができない」人たちは日本国内にも確実に存在していて、その弊害は今日本のあちこちで噴出され始めている。

 特に日本国内で危険なのは、「「近隣で安価な買い物をしてゴミを出す」という程度の楽しみしか選択ができない」という状況を格差と認識している人が少ない、ということで、そういう意味では、世界の貧困を止めるよりも、日本の格差を是正することのほうが遥かに難しく、「日本の格差を是正しなければ、日本国内での環境破壊は止まらない」と認識されるまでに、少なくともあと10年20年は要することになるだろう。

 
 地球温暖化の原因は環境破壊だ、というところで議論を止めてしまうと、根本的な原因まで辿り着くことができない。
 「地球温暖化の原因は環境破壊で、環境破壊の原因は貧困と格差で、貧困と格差の原因は社会的人権と機会の不平等で、社会的人権と機会の不平等の原因は歴史上における差別で、歴史上における差別の原因は~~~~」
 というところまで議論を掘り下げて、初めて環境破壊の抑止は可能になるのではないだろうか。