2008年04月08日
「光の国」に幸せはあるのか
天使が見える方によると、2012年に地球は5次元に移行し、光の世界に変わるらしい。 知り合いの人がそう言っていて、エコナコトブログの『光の生活』さんでも似たようなことが言われているので、事の真偽はともかくとして、あるグループ内でそのような説が、まことしやかに囁かれているのは間違いないようだ。 私はあいにく天使が見える類の人間ではないので、5次元とか光の世界と言われてもちんぷんかんぷんなのだが、要するに喜びと幸せに満ち溢れた世界に、天使や「ガイド」と呼ばれるスピリチュアルな存在が導いてくれるので、これからは悩みや迷いを捨てて、楽しく生きれば良い、ということらしい。 ところで、「喜びと幸せに満ち溢れる」というのは、どのような状況を指すのだろう。光の世界で、人の心はどうなるのか、ということだが、例えば毎日が楽しくて、笑って可笑しく暮らせる世界は、「喜びと幸せに満ち溢れている」と言えるのだろうか。 仏教では、悟りを開いた状態とは「あらゆる苦しみや迷いから解放された状態」のことを指すらしい。つまり、苦しみや迷いを乗り越え、心の中から苦しみや迷いを解き放った状態が、人としての至高の状態、というか神に最も近い状態である、ということらしいのだが、果たして苦しみや迷いがなくなれば、幸せだと言えるのだろうか、という疑問が私にはある。 この世界はまだまだ痛みと苦しみに満ち溢れていて、チベットの騒乱に巻き込まれた人たちや、アフリカで飢餓に苦しむ人たち、故郷が海に沈み住処をなくした人たちや、いじめを受けて今にも電車に飛び込もうと途方にくれる人たちなど、苦しみの渦中にあり、救われない人たちが、世界には無数に存在する。 人は自らが苦しみ、悲しみ、痛み、または嫉妬し、その感情を知るからこそ、他人の痛みや苦しみに感情移入し、共に苦しみを分かち合い、できることならばその苦しみを取り除いてあげたい、と思う。 もし、自分の身体から、苦しみや迷いが消えてしまえば、そういった“救われない人たち”の気持ちを、思い量ることができなくなってしまうのではないだろうか。 よくアニメや漫画で、感情を持たぬアンドロイドが、人の泣く姿を見て、 「オマエハナゼカオカラミズヲナガシテイルノダ?」 と不思議がるシーンがあったりするが、苦しみや迷いが消えてしまえば、そのような態度で、チベットの人たちや、飢えに苦しむ人たちや、自ら命を絶とうとする人たちを見ることになるかもしれない。 それは果たして「幸せ」と言えるのだろうか。 世界はまだまだ苦しみに満ちていて、だからこそ、自らも苦しみ、迷い、痛み、悲しみ、救われない人々と苦しみを共にすること、それだって立派な「幸せ」と呼ぶべきものなのではないだろうか。 もし「笑って楽しく、苦しみも痛みもない」ことを「光の国」と呼ぶのならば、 私は入国を拒否するだろう。
- posted by よっひ~ |
- 21:38 |
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