よのなかをかえる、ということ

 今NPOやNGOが1種のブームになっている。エコロジーでも、植林やゴミ拾いから有機農業やマイバッグ普及まで、何から何までNPOやNGOが関わっている。
 NPOもNGOも「非営利」である、ということが前提で、俗に「営利を求め、発展や繁栄に貢献するのは企業や会社の仕事、社会に関する何がしかの問題を解決するのはNPOやNGOの仕事」などと区別されている。
 その性格上、NPOやNGOの理念には「社会を変える」「世の中を変える」「システムを変える」と謳っているものが非常に多い。
 NPOは、認可さえ取れればどんな人でも発足できる、という性質上、今日では、エコロジーと言えばNPO、というような認識もあり、それ故に誰でも彼でも「世直しのためにNPOを組む」という動きも目立ち、今日はさながら、エコロジーブームと言うよりは、「世直しブーム」という様相すら呈してきている。

 「世の中を変える」と言葉で言うのは易しいが、では、「よのなかをかえる」とは、いったい何をどうすることを指しているのだろう。要するに「よのなかをかえる」ということの、辞書的な定義の問題だ。
 
 「よのなかをかえる」という言葉は二重底になっていて、まず「よのなか」とは、どこまでを指しているのか、という問題と、「かえる」と言う以上、現状には何かの問題があって、その“問題”とは何か、ということと、どうすれば、その問題は「かわった」と言えるのか、ということがある。
 
 各々に考えるところはあるだろうが、私の場合、「よのなかをかえる」とは
 「救われるべきなのに救われない人々を、救われるようにすること」だと捉えている。

 この世に苦しんでいる人はたくさんいる、と前回の記事でも書いた。
 飢えに苦しむ人、住処を失った人、心の病に冒された人、今にも死にたいと思う人、自分で自分を傷つける人、子を殺す親、親を殺す子、家から出られず暗い部屋の中でうずくまる人、会社をリストラされ心の拠り所を失った人、身体を売って狭い部屋で今日も誰かに抱かれるのを待ち続ける人、そして、この世の苦しみに為す術もなく今日も胸を痛め続ける人・・・

 そもそもなぜこの国でこんなにもエコロジーが流行ったのか、という根本的な理由を考える。
 それはこの国に苦しんでいる人が大勢いて、社会や政治や企業や人々の心が歪んでいると感じていて、環境問題を通じて、自然や、世界や、苦しむ人々への慈しみの心を取り戻せば、今この国に生きることの“生き難さ”や、苦しみ、虐げられた人々の苦しみが解消されるのではないか、と期待したからではなかったか。

 だからこそ、苦しむ人々を救いたい、この生き難さを何とかしたい、それこそが「よのなかをかえる」ということの原点だったのではないか、と思うのだ。
 その原点を忘れ、ただ闇雲に正義や世直しの旗を、今日のNPONGOは、振り回してはいないだろうか。
 
 「それは誰の苦しみを取り除き、誰を救うのか」そのことを、NPONGOに限らず、エコロジー活動の際には、常に心に留めておいてほしい。そう願う。