道路を作る、という人間の問題

 戦略としては上手いな、と思った。

 福田首相が、ガソリン税の暫定税率廃止に伴うガソリンの値下げについて、「ガソリンが値下げされると、国民がどんどん車を使うようになり、CO2排出量が増加するので、一刻も早く新たなガソリン税を制定しなければならない」というような発言をしたらしい。
 こういう発言をすることで、エコロジストは、「ガソリン税を制定するのは是か非か」という議論を始めるようになるだろう。
 しかしここには、巧妙なトリックが隠されている。

 確かにガソリンが値下げされれば車の使用率が上り、車の排気量が増加するだろう。しかしもし新たにガソリン税が制定されれば、その税金は、道路の整備や新たな道路を作るために使われるようになる。つまりガソリン税が制定されれば、高尾山のように山をくり貫いたり、森林を破壊して高速道路を建てるような公共事業が加速するのだ。
 つまり福田首相は、
 「さあ、排気量を増加させて大気の汚染を加速されるか、道路を作って自然の破壊を加速させるか、どちらかの態度を決め給へ」
 と宣告したのである。

 上手いな、と思ったのは、ガソリン税と環境問題を結びつけることで、嫌が応にもエコロジストはどちらかの態度を決める選択を迫られるだろうと予測が立つからだ。
 しかし、正解は、「どちらの態度も取らない」ということで、「問題はそこじゃない」と発言を突っぱねることなのだ(幸いにも、YAHOOニュースと2ちゃんねるを見る限りでは、「問題はそこじゃねーよ」という発言で埋まっていて、ちゃんと考えている人は多い、ということが分かったが)。

 
 道路に関して一番問題なのは、いまだに道路を建てることで利益を得ている族議員がいるということで、既得権益層がいまだに甘い汁を吸い続けようと、一線を退く気配がないことだ。

 今現在既得権益層が一番多いのは、「道路・建築・医療」で、じつは道路と建築の既得権益層を一掃することで、日本における環境問題の約7割は解決する。道路と建築の既得権益層がいなくなれば、とりあえず新たに道路と建物を作る必然性が失われる。そのことでどれだけの自然が保護できるか、想像に難くないだろう。

 例えば高尾山の問題でも、トンネルを掘られたくなかったら、するべきはデモ行進でも座り込みでもハンガーストライキでもなく、トンネル事業に携わっている議員と業者の以前の仕事を調べ上げ、以前作られた道路の稼働率から、これから作られようとしている道路の経済不合理性を追求し弾劾することなのだが、抗議行動をする人たちの中にそういう発想をする人はいないのだろうか。
 例えば奥只見のダムに通じる道路とか、山をくり貫いて作られた道路の前例はいくらでもあって、そういう道路の現在の稼働率から高尾山トンネルの無意味さを説くこともできそうなものだが、そういう分析をしている人もいないのだろうか。

 村上龍の『置き去りにされる人々』でも、日本が根本的に構造改革を断行するためには、既得権益層の老人を、つかの間の宴会を楽しんでもらった後に東シナ海に沈めるのが一番手っ取り早い、ということを言っていて、つまり6年前から一向に問題は解決されなかった、ということでもあるわけだが、トピックが「構造改革」から「環境問題」に移っただけで、元凶は変わらないのだから、そろそろ根本的な解決を目指してもいい、と思うのだが、前回の記事でも書いたとおり、「閉鎖空間に逃避する人々」にとっては、道路や建築がどうこうなど、遠い世界の話で、既得権益層をどうにかする、ということがコンセンサスになるのは難しいのかもしれない。

 
 とにかく大切なのは、日本で主に環境を破壊しているのは、道路や建築に携わる公共事業なのだから、政治家が自ら環境問題に言及した時に、「政治も変わった」とぬか喜びするのは早計な場合もある、と心しておくことだ。