例えば、学生運動

 そういえば、学生運動の時はどうだったのだろう。

 エコロジー運動の基本理念は、「より大勢の人に問題を知ってもらい、より大勢の人を巻き込み、より大勢の人々の変革を促す」ことにある。
 実際にエコロジー運動に触発されて環境問題に興味を持ち始めた、という人がどれほどいるのかは分からないが、今現在、ある特定の団体やグループ内で、エコロジーが絶対的な影響力を持ち、「エコロジスト対そうでない人々」の色分けが徐々に鮮明化されつつあることは事実だ。

 エコロジー運動、と比較になるのかは分からないが、この国では以前にも、「より大勢の人に問題を知ってもらい、より大勢の人を巻き込み、より大勢の人々の変革を促す」ことを目的に、市民が立ち上がったことがあった。
 それが俗に「学生運動」と呼ばれるもので、「日米安保闘争」「全共闘運動」あるいは「東京大学安田講堂事件」などが、代表的な事件として、よく歴史の授業などでも紹介されている。

 「学生運動」の名が示す通り、この時の運動の主体は大学生だったのだが、体制にNOを突きつけ、街頭で演説をしたり、授業をボイコットしたり、果ては校舎そのものをバリケード封鎖したりと、その活動の過激さと、全国的に運動を推し広めた影響力、そして、「全国の学生」が参加したという、その問題意識の高さと参加者数は、現在のエコロジー運動を遥かに凌駕したものと想像できる。

 そんな大規模で、崇高な問題意識の元結集された学生運動は、まさに「より大勢の人に問題を知ってもらい、より大勢の人を巻き込み、より大勢の人々の変革を促す」ことを具現化したものだったが、しかしそれでも、局地的な成果は得られたものの、最終的に世界を、人々を変革に導くことはできなかった。

 学生運動に参加した人々も今は年老いてしまったが、彼らはあの時の自分の姿を、今どう見ているのだろう。
 そして、現在また学生運動の如く多くの人々を巻き込み、世界を変革させようと躍起になっているエコロジー運動を見て、何を思うだろう。


 過去に学ぶことはたくさんある。しかしそれは、宮本武蔵や坂本竜馬や、松下幸之助などの人生訓などではなく、かつて自分を同じ夢を描いていた人がいて、その人は何を思い、何をして、何を残し、何を残せず、そして今何を見つめているのか、その軌跡なのではないだろうか。

yoga初体験

 定期的に通っている気功教室があるのだが、仕事の都合上、最近は1ヶ月に1度程度しか行けなくなってしまった。
 その教室、というか教室のあるスタジオは、チケット制になっていて、そのチケットがあれば気功教室以外のレッスンも通えるようになっているのだが、3ヶ月前に購入したチケットがそろそろ有効期限が切れそうでどうしようかと思っていたところ、知り合いにヨガのインストラクターをやっている人がいて「ヨガもいいよ」と薦められたので、今日初めてヨガに挑戦してきた。

 そのヨガの教室は「メディテーションヨーガ」というレッスン名が付いていて、数あるヨガの中では、動きよりも呼吸や瞑想を重視したものだそうで、要するにそんなに身体に負担のかからない部類のヨガ、ということだったのだが、それでもけっこうハードだった。ハード、というか、普段使わない部分の力や筋肉を使うので、それがけっこう身体への刺激になった、という感覚だ。どれだけ体がなまっていたんだ、という話だ。

 やはり気功と比べると、身体への刺激が強くて、スポーツクラブなどでは、プロポーション矯正やダイエットにも用いられている、という理由がなんとなく分かった気がした。
 だが本来ヨガとは、スポーツではなく、あくまで心身鍛錬法の1種で、気功と同じく「調身」だけではなく「調心」も大切な要素なので、瞑想や呼吸法に精通していないスポーツクラブのヨガは、本来のヨガとは若干別物だ、ということは知り合いの子も言っていて、本来のヨガにおける「メディテーション」の部分も、今回のレッスンで理解することができた。

 とにかく体が動かん。こういうのも「継続は力なり」で、続けていけば徐々に身体も絞られてくるんだろうなぁ。